吉田真里子という歌手は、アレンジの多彩さでは群を抜いていると思う。さきに 「エチュード」を紹介したアルバム「ポルトレ」の中でも、その多彩さは武部聡志氏によって遺憾なく発揮されているが、その中でも9曲目「潮騒」はわたしにとってはこれまで聴いたことのないアレンジで、ずっと耳に残っていた。
この曲は吉田真里子のラジオ番組「アイドルテルテルランド」のエンディングとして使われていたので、わたしはずーっとアルバムのエンディング・チューンだと思っていたのだけど、社会人になって思い出したように中古CD屋をかけずりまわって「ポルトレ」を入手してはじめて、「ザ・チューン・ビフォー・エンディング・チューン」要するに最後から2曲目だと知った。ちなみにエンディング・チューンは当時吉田真里子が「この曲には、思い入れがあって...」と語っていた「手紙」だった。
さて、その「潮騒」である。夏休みの渚で、彼は「優しい」声で「君にね 憧れてた」と打ち明け、「私」は「ぎこちないときめき」を感じたけれども、今、その「私」は一人夏の終わりの渚を「ひとり訪れ」、「誰も知らない恋」に失われてしまった夏休みを思い返している、という歌である。
エチュード同様、「それだけ」なのである。
やはりこの歌も、歌うのは情景なのだけれども、そのことで感情を物語るのである。しかもこの曲のアレンジが、歌の内容とよくマッチしている。アレンジャー武部聡志氏の面目躍如というところである。
当時世の中には「ガールポップ」と呼ばれた、しかし今や死語となったジャンルが確立されつつあった。武部聡志氏は、吉田真里子の歌を手がけることによって、その先陣を切ろうとしたのかもしれない。振り返って考えると、それは「ガールポップ」と呼ぶべきものではなかったのだけれども。(2002.9.30記)