なるほど。いい手本があるわけだなあ。
アメリカ合衆国のブッシュ大統領が太平洋戦争戦勝60年の記念式典で演説したそうだ。これって、彼の本音がよく出ていると思うなあ。
つまり、われわれアメリカ合衆国は太平洋戦争に勝利して日本に民主主義の恵みを与えたのです。それによって無知蒙昧な日本の人々を覚醒させたというわけです。卑劣なだまし討ちであるところの真珠湾攻撃を仕掛けてくるような日本は、それゆえに野蛮だったのです。野蛮でありながら傲然と立ち向かってくる日本人を、われわれアメリカ軍は正々堂々と打ち破ったのです。沖縄で軍人民間人と見境なく殺傷したのも、各地で空襲や艦砲射撃を繰り返したのも、広島や長崎に原爆を落としたのも、輸送船を襲撃して民間人を大勢海の底に沈めたのも、日本は卑劣なやりかたで真珠湾を攻撃したのだから当然の報いとして受け入れるべきです。
ということなのだ。同じようなことを、どこかで聞いたなあ。
ええっとつまり、われわれ大日本帝国は日清日露の両戦役に勝利して、朝鮮半島の欧米列強の支配を未然に防ぎました。そして朝鮮半島には日本から大小さまざまの資本が進出して、朝鮮半島の近代化をすすめました。社会資本の整備は朝鮮半島の経済力ではどうにもならなかったのです。そして、道路や鉄道の敷設、工場建設や鉱山の開発、工場での労働や鉱業資源の採掘など現地の人々を雇用することで所得を増やしました。それによっていくらかの犠牲は出たかも知れませんが、それは個々の企業の労務管理に落ち度があったためで、国の責任として謝罪を要求したり賠償を迫ったりする態度は絶対に許せません。その後日本は朝鮮半島だけでなく「大東亜共栄圏」を唱えてアジア各地に進出しましたが、その主張は行く先々でアジアの中の存在であることを自覚させ、共感を呼び、やがて戦後の独立につながったのです。
よく似ているなあ。どうだろうか。
ふわ。帰ったら日付変わっとりました。
実は以前聞いていて書き忘れていたのだが、そのとおり、SLあそBOY号が老朽化のため運行を終了した。
実は私もこの列車に乗ったことがある。乗ったのは11年前の3月末ごろ、当時熊本で桜の開花の平年日だった日かその次の日だったように記憶している。たしか前の日に阿蘇で大雪になって、熊本日日新聞でも写真記事になっていた。というわけで熊本市内でも桜が咲くなどということはなく、私は私で真っ白になった阿蘇山に登ったのである。たしか...4人で行ったのだったっけ。それで熊本への帰りにこの列車に乗ったのだった。車掌が西部開拓時代のようなコスチュームで現れたのに驚いていたはずだ。そういえば、水前寺の先あたりで子どもたちがこの列車をじーっと眺めていたのも、なんとなく覚えている。
で、7年ほど前に半年間、たまたま豊肥本線沿線で仕事をする機会があって、世間の休日にはよく汽笛を聞きながら仕事をしていたものだった。それ以来ずっと見てなかったので、補機をつけて走るようになっていたことも知らなかった。
運行の終了は残念なのだけれど、大正時代から今まで現役で走っていたと聞けばやはり驚くし、その一方で納得もできよう。いまでは客車列車そのものが珍しい存在だから、ディーゼル機関車に牽かせるにしても、この列車を残す価値はあるだろう。
ここらあたりで肩の凝らない話題を。
といいながらネタに困ったので、世間(というかネット上)いうところの「肩の凝らない話題」というのはいったいどういうものかと思って調べてみた。これがおもしろい。
亀の子コンクリート考という、有機化学者の視点でコンクリートを見てみたらどう見えるかというコラムがあるのだが、その24回・「分野変われば言葉も変わる」。肩の凝らない話題にしたい、と言っているが、肩は凝らないかも知れないが目が回る。たしかに、日本語はわかるし話の趣旨もだいたいわかる。話の趣旨としては、だいたい工学屋さんと化学屋さんの使う言葉の違いということで、同じようなことは工学屋さんと物理屋にもあって、同じ物を指す言葉としてたとえば電界と電場と言ったりする(磁界と磁場という言葉もある。けど、そのわりに重力場と言っても重力界と言わなかったり、場の量子論と言うのに界の量子論と言わなかったりする。そうそうそういえば、世界と言っても世場とは言わんわなあ...ってそれは違う)。でも、門外漢にわからない言葉をこれだけ並べられると頭が痛くなってしまう。電場と電界ならなんとかついていけるが、養生と硬化が同じ中身を指すというのは一体どういうことなのだろう。これを読んで肩の凝らない話だなあと思う人々というのは私とはまったく違う世界に住んでいるのだろうなあ。
こっちは生物屋さん、熊大の生体調節学講座の高野先生のほぼDaily Reports。お子さんが鈴虫をもらってきなさったそうだ。本当に肩の凝らない話題。ちなみに話題に出てくる江津湖は熊本市の水源地。
長い文章だけど読んでみたら肩が凝らない、と思えるのは「交通土木の面白さ」というコラム。確かに一旦作ってしまったら拡幅したり構造を変えたりするのは大変だ。そうすると中にはアクロバット的なものを作らないといけなくなってしまうこともあるだろう。確かに苦労するだろうなあ。
漢方のお話。こちらで肩の凝らない話題というとどんなものかと思ったが、要するに漢方の効用を延々と説いていらっしゃるわけで、漢方の知識を得るのには役に立ちそう。たしかに、肩は凝らないな。一転、紀伊民報のコラム。敬称「さま」と「さん」の現在での使い分けについて難しくならない程度に考察しているのだけれど、字数制限があるとはいえことばの変遷についても触れて欲しかったところだ。
だから血液型で性格なんか決まらないっていうの。だいたい、たとえば日本人はABO型でいうところのA型が過半数いるのだけれど、たとえば岡山県倉敷市在住・80歳・A型の人と長崎市在住・11歳・A型の人と、アフガニスタンのクエッタ在住・43歳・A型の人が同じような性格になるとは思えない(ちなみにここに挙げた地名はすべて今朝の新聞社会面に載っていたもので、他意はない)。まあ、同じ倉敷市在住の80歳A型の人でもそれぞれ性格は違うだろうし。ここでの文意は、そんなことに目くじら立てるなということだが、そんなことを“なんとなく”認めてしまうことは、科学的な考え方からは遠い。事実を踏まえた議論を尽くさないで、空気だけで会議の結論を出してしまうことと底辺でつながってしまう。
...おっと、肩が凝ってしまった。うううぅ...
ではお口直しに、先週会社で聞かれていた「電車男」のスレをまとめたサイト(まあ、これがおおもとの原作のようなものだ)へリンクしておこう。
そうそう、もうひとつ肩の凝らない話。わたしの別館もよろしく。
今日は千葉ロッテマリーンズ・ジョニー黒木復帰登板の日だったのを忘れていた。予告先発でもあったが、何日も前からこの日の先発が報道されていたから、内野席は前の日までに完売してしまうし、当日売りしかない外野席も右翼左翼関係なく千葉ロッテファンで埋まっていた。私自身は、外野スタンドに陣取ってまともに応援するようになったのはここ3年のことなのだけれど、12年前まだマリンピンクのユニフォームに八木沢荘六監督が身を包んで、今巨人にいる前田幸長投手が先発ローテーションにいた頃、まだ成本投手が抑えのエースをやる前、香川県営球場(のちに通称「オリーブスタジアム」)の観客ガラガラのレフトスタンドの土手でメガホンぼこぼこ言わせながら飛び跳ねた経験のある私にいわせても、「こんなの初めて」である。
それでいつものように、CSで中継をずっと見ていた。初回2本のヒットを浴びてピンチを迎えたが、ガルシア選手の二直に後藤選手が飛び出し併殺となってピンチ脱出したあとは、やや不安定だった制球も2回以降は落ち着きを見せて、野手もよく守り立てて6回2/3を零封。最後は疲れが出てランナーを残して降板したけれど、後を継いだ藤田投手も気合いの入ったピッチングで代打の水口選手を抑えた。直後にイ=スンヨプ、里崎の2人に本塁打が出てリードは4点。さらに中継ぎの切り札(?)薮田が現れてこちらも抑える。最後はこのところヨレヨレの守護神小林雅英が出てきて、ヒット2本打たれながらなんとか得点を許さず、10年ぶりのAクラス確定でプレーオフへの進出を決定づけた。ライトスタンドはデカ旗で祝福し、バレンタイン監督もグラウンドに出て観客の声援に応えていた。
試合が終わった後、花火は打ち上げる(ジョニー黒木の背番号にちなんで54発)わ復活までの道のりを流すわ、もうそら大変。これでジョニー黒木がめった打ちにされとったらどうするつもりやったんやろか、と思わせるほどの大仰な儀式(セレモニー)(違 であった。
で今日は午前中会社の先輩と新居浜へ外出。本屋を3軒もハシゴさせられてしまった。昼メシに大阪王将新居浜店をけしかけられたが、駐車場は狭いわ行列はできとるわで断念とあいなって(というか別に大阪王将に行く気はなかった)、得得でうどんにする。
帰ったのが14時まえで、一眠りしてから昨日の仕事の残りを片づけに出社しようと思ったが、一眠りして目が覚めたら疲れが出てしまい、結局休養に充てる。
ということで、社説レビューもお休みにします。
仕事をしていたらいきなり呼び出されてあたふたと4時間ぐらいかかりっきりになって、結局仕事を片づけられずに週末を迎えることになってしまった。西条に来た頃は馬力出して深夜まで残れたけど、もう無理。
そういえばなんでこの日にこの日のうちにここを更新できんかったんかなあと考えてみたら、そういえば飲みに出たのだった。はい。そうでした。
番外編社説レビューは22日付徳島新聞から。
社説では今度の総選挙について、いわゆる政治家一辺倒でない人選と配置換えなど自民党がとったいわゆる「サプライズ」的手法について政界の新陳代謝を促す効果が期待できるなどといった一定の評価を下す一方で、トップダウンの候補者選定は地方分権に背くやりかたで地方組織との関係に水を差すおそれのあることを指摘し、今回の選挙では郵政民営化だけではなく国家像をも問われることに触れた上で、選挙前半戦では話題だけが先行したけれど投票行動においては候補者の資質を問題とするべきであると主張している。
選挙前とあってあまりどの党にも偏らない社説となっており、ある意味で八方美人的である。投票にあたって考える材料として、前回選挙で自民党が公約として掲げたことの点検とか、小泉政権となってからの新たな国民負担の増加分を確認してもよかったのではないだろうか。
社説の内容とちょっと離れるけれど、小泉政権での新しい国民負担はこれこのとおり、なんと4.8兆円も増えているのである。口でいかほど改革、改革と言っても、説明なんかしないでとれるところからとっていこうというのが小泉政権の実態であることを、ひとまず指摘しておく。
日華事変とか日中戦争とかいわれる戦争中、いわゆる“百人斬り競争”が報道された。最近になって、百人斬り競争をしたとされるふたりの少尉の遺族が当時の報道、それからそのあとの著述について名誉毀損であるとして訴えていたが、しごく当然の判決が出た。
ことの経緯からいって一連の“南京大虐殺”の象徴的な出来事であるし、仮にこの“百人斬り競争”とされるものが事実でなかったとしても、訴えられた毎日新聞も朝日新聞も、単に訂正すればいいというものでもない。誤りなら誤りとして、なぜ誤ったのか検証は必要である。単に「戦意高揚のための作り話であ」って、「似たような話はいくらでもある」とすればいいわけではない。
また当時の新聞記事には本人の証言とされるものも載っていて、少尉のひとりは講演でこの事件に触れていることでもあるし、これら証言を信用していけないなら、ふたりの少尉が虚言癖のある人であったことを遺族のほうからすすんで世の中に再認識させることになってしまう。つまり当時の風潮に乗って調子のいいことを言っていたということになるわけで、それはそれで恥をかくことになるのではないか。それに彼らと遺族が報道による被害者であって、この事件が「戦意高揚のための作り話であ」るとするなら、大本営発表のほうがむしろ「戦意高揚のための作り話」を多く含んでいたし、そのために、多くの日本人(朝鮮半島や台湾の人々を含む)は名誉を失うどころか“尊い犠牲”を払うことになったといってよいだろう。当時の報道姿勢を云々するのであれば、ラジオと新聞が大本営発表を垂れ流し続けたことについて虚偽の発表をしたとしてNHKや朝日以下各新聞社を訴えることも(今は時効ではあるが)できたわけで、官製のウソはよくて官製でないウソはよくないというのは矛盾している。
またこの裁判を起こした側は、今のモノサシで当時の行為を裁こうとする行為に出たといってよい。つまり、今のモノサシからいえば“百人斬り競争”があったとすれば許せないけれど、当時のモノサシからいけば中国戦線での“百人斬り競争”は称賛されるべき行為である...少なくとも、当時の報道ではそれは戦場での働きであるということになっていたのだから。そして“百人斬り競争”はホラであったかもしれないけれど、彼らは報じられたとおりの行為をしたとして称賛され、事実として勇士といわれたのであった。
当時のモノサシで“百人斬り事件”を語ってはダメで、戦後のモノサシでこの事件を評価し犯罪的行為であるとして名誉毀損と考えるのは、実は原告を支援する立場の人たちが最も毛嫌いする姿勢ではないかと思うが、どうだろう。
今日から、西条工場は連休明け。連休中の宿題を片づけたらもう働く気がしなくなってしまい、そのまま帰る。
朝10時に実家を出る。
いつものようにiPodから電波をとばして、「曲をシャッフル」して聞いていたところ加西を過ぎたあたりでいきなり枝雀師匠がしゃべり始める。枕に同窓会のネタを使っていたが、枝雀師匠、伊丹の神津小学校出身なのだそうだ。知らなかった。終わったらちょうど姫路バイパスに乗るところ。
岡山に昼過ぎに着いたので、デオデオ岡南店(旧ニノミヤ岡山南店)を覗いてみる。が、普通の家電店になっているわ予想通りApple製品はiPodぐらいしか置いてないわで、寄り道に都合1時間ほど使ったのに意味なく、まあ、意味がないことを確認できれば十分だったので、続いて下中野のベスト電器へ。
先日買っておいたBelkinのFMトランスミッタがやたら電池を食うので単四の充電池を買うのと、あとiPodを今シリコーンカバーに入れているのだけれど持ち運びに不便なのでそのまま入れられるデジカメの入れ物を買うのが目的で、あっさり達成。...と思ったが、iBookの展示品処分があったのでちょっと迷ってしまい(結局Tigerでなかったのが決定的で止めた)、ここでも1時間使ってしまった。
そのあと宇高フェリーを使って高松へ。朝からぜんぜん空腹感を覚えず、それでも食べないわけにはいかないので、船内で売っているうどん...ではなく、おにぎりを口にして一休み。四国に上陸してもまだ余裕があったので、ゆめタウン高松と併設のデオデオ高松本店に立ち寄る(そんなとこばっかりかい)。デオデオ高松本店は冷やかしのつもりで入ったけどApple製品を扱っているのを知らなかった。しばらく眺めていたのでまた時間を食ってしまい、けど結局新しいiBookを買うにしてもUSキーボードやなぁと思いながら店を出て、ゆめタウン高松で下着と靴下を買ってそのまま高速に乗ったあとは新居浜まで走り、コープ中萩で食い物を調達したあと、西条にようやく帰ってきた。
駒苫連覇。
なのだそうです。おめでとうございます。
今朝防災無線の朝の放送で「今日の朝9時から全国高校女子硬式野球の決勝戦が行われます」というのが入ったのだけれど、意志薄弱な上に、世界大会をテレビでちらっと見た印象でレベルが低い(球は遅いしエラーは多い)と思っていた私はあっさり放棄。あとで聞いたら「そんなもんと違うらしいぞ」という話らしい。しまった。これは次は見逃せないぞ。1試合ぐらいは見ておこう。...ところで速報ででもWeb上で報道されないのはなぜ。
そんなことをしている裏でわれらが千葉ロッテはしっかり東北楽天から勝ち星をいただいた。一族期待の星、有銘投手からきっちり4点いただいて、今日は継投がはまる。しかし、ソフトバンクさまも負けないので4.5ゲーム差が縮まらない。うーん、なんとかならんもんか...
思いっきり疲れていたようです。一日中寝ていました。おわり
会社は今日も明日も休みで私も今日から休みに入るのだけれど、昨日遅かったので、今日から出てくる人にろくに引き継ぎできてなくて、ひげも剃らずに出てきたら
「あっ、昼まで帰れんと思てよ」
よその部門で今日から出社というところがあって、部長以下そっちへ出張して西条とつないで電話会議ということになっていたようなのだけれど、その会議というのが先週の金曜日に発覚したトラブルの後始末だそうで、たまたま月曜日に会議の資料を作ったというだけで昼まで会議に出たのであった。しかもこちらからはほとんど発言することがなく、しかも作った資料を使うところがなかったって、私いったい何のために昼までつぶしたというのだろう。
あ゛〜、4連休が3連休になりそうやから田舎に帰るのやめようかな。まっ、えっか。どうせこっちにおってもすることないし。
というわけで帰ったのが14時半すぎ。15時ごろ夕立がきてやりすごして帰ろうと思って16時まで待って、帰り始めたら松山道に乗ってからいろんな忘れ物をしたのを思い出したけどそのまま帰ったら、帰り着いたら24時回るってあんたどういうことやねん。
昨日よりもっと遅い...23時半でした。
イスラエルのガザ撤退に伴う混乱とか、宮城県沖地震とか、いろいろ書きたいことはあるけれど...
西条では地下に相当量の貯水があって自噴するほどだから水の心配をすることはないのだけれど、早明浦ダムの貯水量が少なく大ピンチになっているらしい。15日は四国でも広い範囲で雨が降った(西条でも激しい雷雨になった)けれど、まとまった雨にはならず“焼け石に水”。とうとう発電用水まで使わなくてはいけないことになってしまいそうだ。
とにかく、四国にまとまった雨を期待するしかない。ここしばらく不安定な天気が続くようだが、これとてまとまった量を期待できるわけではない...
...ああ、せっかく休みの日に出勤しているというのに、なぜトラブルに巻き込まれるのかなぁ...帰ってきたら22時を回っているではないの。
今日から普通に出勤。普通に出勤したのです。
終戦60年、というか敗戦60年とはっきり言って欲しいがとにかく60年。首相談話をひいておこう。空疎な文で首相も棒読みしたであろうことが想像できる。今でもよくネタにされる「感動した!」というような感情のこもった言葉では全くない。
みんなが“お約束”として通過すると思われる冒頭、「心ならずも命を落と」した人々の「尊い犠牲の上に」「平和と繁栄」があるという言葉は、実は、実情以上に戦争を美化するものであるといってよい。少なくとも遺族の方々は、ここにひっかかるものを覚えるだろうと思うので、お約束として片づけられないということをちょっと考察してみよう。
たとえば、戦争がなければその人は「心ならずも命を落と」さないでよかったかもしれない。平和な世であれば、もっと何かちがうことを成し遂げていたかもしれない。少なくとも、政府のいいなりに召集されて敵弾に倒れたり、前線で味方に撃たれたり、あるいは補給のない前線で飢えに苦しんで亡くなったり戦病死したりすることもなかっただろう。あるいは民間人でも空襲や艦砲射撃、または原爆などといった米軍の攻撃に遭って亡くなることもなかっただろうし、沖縄や硫黄島などで見られたように戦闘に巻き込まれて友軍に殺害されたり自殺を迫られたりすることもなかっただろう。
もちろん、政府の主張する大東亜共栄圏の理想に大いに意を動かし、使命感をもって戦地に赴き、“祖国”の平和と繁栄を願って前線に散った兵士が一人としていなかったとはいわない。しかし、十五年戦争は軍部だけが戦争をしていたわけではない。今かりそめにも考えつくだけでこれだけの殺され方があるのだ。そんな「犠牲」が一様に尊く、平和と繁栄を築く土台になったというのだろうか。そう言うには、あまりに空しい亡くなり方である。「尊い犠牲」と呼ぶことで戦争の実態から目をそらしているだけであることはもはや明白だ。今ある平和と繁栄は、決して十五年戦争から生み出されたものではない。確かに十五年戦争のあと私たちは平和と繁栄を享受していると言ってよいと思うが、もし「尊い犠牲の上に」「平和と繁栄」があるなら、「平和と繁栄」というものは、戦争をしなければ生み出せないことになってしまう。
あるいは、ちょっと立場を変えればこういうことも言えよう。戦争がなければ、無謀な作戦を立案して友軍の犠牲をムダに増やすことはなかったかもしれないし、アジア各地の民間人に対して強盗まがいの行為をしたあげくに殺害に及んだり、あるいは軍部でなくても現地にあわない作物を作らせて飢餓を招いたあげく餓死に至らしめたりすることもなかったかもしれない。または、現地の人を無理矢理連れてきて働かせたあげくに殺したりすることも、これもなかったかもしれない。
そんなことで亡くなっても、「尊い犠牲」と呼ぶのだろうか。みんなが最善を尽くした結果亡くなったというのであればそういえるかもしれないが、果たしてそう言えるのだろうか?
“太平洋戦争による死者数”として数字を挙げた上でその影響のすさまじさを知ることはできるが、数字がすべてではない。数字だけをみてそのすさまじさに驚き、「尊い犠牲」と感じることについては、理解できなくはない。しかし、その数字がどのように積み上がったかを考えれば、つまり一人一人の命の落とし方に注目すれば、簡単に「尊い犠牲の上に」「平和と繁栄」があるなどと軽々しく言うことはできないことがわかるだろう。
...指導者は一言一句もおろそかにしてはいけないのである。書いたものを読んだからといって必ずしも的確な表現となるものではないということは、この例からも明らかである。
日曜日...朝起きたら9時前でした。予定通り高校の後輩とバーベキューの日で、10時半集合なので慌ててシャワーを浴びて出支度する。去年と同じ東はりま日時計の丘公園というところのバーベキューサイトを借りて4時間ほどバーベキューを楽しむ。買い出しから片づけまでお疲れ様でした。
16時すぎに脱出して、あたふたしながら三木小野ICへ向かって山陽道を使い、さらに今日は禁じ手の瀬戸中央道へ向かう。ところが三木小野ICから山陽道に乗ったら、乗っていきなり眠気に襲われて、権現湖PAで一眠り。はっと気づいたら1時間近く経っていて慌てた。ひえー
そのまま瀬戸中央道へ行ったが早島ICの出口渋滞に巻き込まれかけた。あやうく追突しそうになったやないですか。こらっ。ハザードぐらい焚いてくれよ。
次は与島PAでまた眠ってしまったり、豊浜SAで横になったり。結局西条に着いたのは22時半ごろだったです。
午前中はヒマだし行くところもないので、イベントの片づけを手伝う。12時半すぎに西はりま天文台を出たはいいが、R179を南下して栗栖川を渡ったところで急に眠気に襲われて、道の駅しんぐうで寝入ってしまった。道の駅に着いた頃にはまだ聖光学院がリードしていたはずだったが目が覚めたら試合が終わっていて桐光学園が勝っていた、というぐらいの時間だったが、そのあと山崎...おっと、宍粟市へ出て三木山崎線をひたすら三木へ走ってR175へ出たと思ったら、あれ、三木小野ICより北へ出てしもたんやん...と思ったけれど、小野市内に入らなくていいからいいか。
あとはよく知った道でスカイマークスタジアムに難なく到着。着いたらちょうど開門時間って、これで3回目かいっ。レフトスタンド入り口には、前回来たときよりもさらに長い列が並んでいたが仕方がない。列の後ろに並ぶ。
16時まえ頃、雨がぽつぽつ落ち始めた。心配していたことが起こってしまった。雨具は折りたたみの傘しか持ってない。このまま降り続いたら荷物は濡れるに任せるしかないなあ...みんな、傘を差して小さくなっている。入場したけどまだ降っている。うーん。試合できるんか?
入場時にシャボン玉セットを配っていたので、試合前からずーっとシャボン玉がとんでいた。
しばらく見ていると雨はどうにか17時前までには上がってしまって、地ならしが始まった。オーダー発表があって、四番サブローに驚きつつ、地ならしの甲斐あって試合開始20分ぐらい前には試合ができそうになった。子どもがユニフォームを着てたくさん出てきたので何かと思ったが、今日は内外野でノックをやるはずだったところこんな雨ではままならず、結局はキャッチボールだけになったのだった。そういえば今日はビジター応援デーということで幕張からマーくんとリーンちゃんが来ていて、「ネッピーに挑戦」だかのコーナーで試合前から応援合戦と称して「We Love Marines」を歌わされてしまった。そのあとオリックスの応援歌「Sky」を流して、その最中はマーくんとリーンちゃんは引き立て役。とはいっても即興であれだけフリを覚えられるのだから大したものだ。
そして試合。予告先発は千葉ロッテ清水とオリックス吉井。吉井投手は開幕6連勝と40代の最長記録を更新したところで、清水直行もエースだけに投手戦が予想される。雨の影響は...?
ところがところが、雨あがりで調子が出ないのか吉井が乱調。先頭西岡は討ち取ったものの堀幸一に一発を浴びて先制を許す。まさかいきなり点が取れると思ってなかったのでレフトスタンドは大騒ぎだ。続く福浦は討ち取られたが、4番サブローと5番フランコに連続本塁打が出てしまい、初回からこんなに騒がないかんというのはどういうことなのだろう。息切れしそうになって、ついつい「吉井、はよ代わってくれ〜」と言ってしまった。
でもその裏いきなり谷平野に連打を浴び、後藤の二ゴロの間に1点、ガルシアに適時打を浴びて2点目。あ〜あ、結局リードは1点か。こらあかんなあ。やっぱり雨降って足もとも悪いから...打撃戦になるんやなあ。2回はパスクチが安打出塁したあと橋本にホームランが出て、ホームラン4本で5点め!やっと吉井をマウンドからひきずり降ろして、後続は歌藤に三者凡退。ふう。やっとひと息つけそうだ。2回裏は無失点に抑えたけど、満塁までいって時間がかかりすぎる。2回終わってざっと1時間もかかってしまった。こうなるといつ帰れるかも心配やけど体力がもつかどうかも心配やなあ。蒸し暑いし。
とにかくそのあとも大空中戦を展開して、パスクチは2本打つわ西岡は打つわ、ガルシアに2本打たれるわ後藤に大西に打たれるわ、終わってみれば11本も本塁打が出るシンドイ展開。今のレギュラー陣でホームラン7本って嘘やろ!?4番サブローやし(しつこい)。13点はできすぎやなあ。6回からオリックスは本柳投手が出てきて展開が落ち着き、千葉ロッテも8回から藤田・薮田とリレーして試合が早く進んで、とりあえず22時前に球場を脱出することができた。よかった...
雨が降ってイニング間のイベントもままならなかったが、鳴門工のナインが来ていたのをイニング間に紹介していた。千葉ロッテの応援団、「鳴門!鳴門!」いうてめいっぱい応援しましたがな。...けれど、鳴門工OBの里崎は出てきませんでした。
それから投手交代が多かったけど、その間とにかくそこらじゅうでシャボン玉が飛び交っているし、テンションはあがっているしでついつい応援団が「しゃーぼんだーま、とーんだ、やーねまーでとんだ」いうてラッパ吹いておりました。はぁ...やっぱりこの人たちは違う...
帰りは駐車場出口をいきなり間違えてしくじる。まあ、よく知っている道をいつも走っているように走ったが、実家まで20分というところで疲れが出て、へろへろで運転。どうにか帰り着いた。
今日からいよいよ本当に3連休だ。今日は朝から西はりま天文台へ移動してペルセウス座流星群の観望とイベントの手伝いをして、次の日13日には夕方まえにはスカイマークスタジアムへ移動して千葉ロッテを熱烈に応援したあと実家に泊まって(ただし帰省というほどではない)、14日には朝から高校の後輩と恒例のバーベキューをやって、その日の夜には西条に戻るという日程である。
はっきりいって無茶。ばかなやつだ。どっかでガス欠(人間が)しても知らんぞ。
というわけで始めの1日は朝10時半に西条を出て西はりま天文台へ。前の日からあたふたしたので、カメラも三脚も準備しなくて、双眼鏡だけ持っていく。いつものように瀬戸大橋を使わないで、宇高フェリーの中で一寝入りしてブルーラインを使ったけど、どうにか15時すぎに到着。あたふたとメインイベントが終わって、ようやく観望の時間、と思ったが、昼間からずーっとどんよりしているし、どうしても晴れてこないので、24時すぎにうつらうつらしてしまった。
25時すぎに南館でイベントスタッフのみんなで半打ち上げ(いちおう、終わってないからね)。私は27時ごろ、次の日に備える意味もあって沈没。
実は今日から4連休をとっているのだけれど、午前中は部屋で仕事していて、気づくと15時すぎには会社にいた。あれれ?
そのあと飲み会に誘われて、近所のアサヒビール工場併設のビール園へ。
仕事は疲れるなぁ...
あのね、こういうのを木を見て森を見ず、というのですよ。いいですか。日本軍の作戦範囲は、当初はどこからどこまでだったんでしょうか。開戦劈頭の海軍の作戦範囲は、東は布哇(笑)、南は豪州ポートダーウィン、西はセイロン島まで広がっていたのです。日本軍がインドまで進出することについては、1942年の日独伊三国軍事同盟によっても合意されていました。日本の政権としては、イギリス政府を屈服させるために、身勝手にもドイツやイタリアに中近東まで進出してほしがったのですが、さすがにこれには合意を得られなかったのです。ただ、もし、イギリス政府が屈服すれば、枢軸国の論理が世界を支配することになったでしょう。そういう意味では、「世界征服」と言っても過言ではありません。また当時の日本政府の主張する論理からいっても、そうしなければその論理は破綻してしまうのでした。フランクリン=ルーズベルトがどう言ったかは知りませんが、事実として、日本陸軍の過半数の戦力が中国大陸で戦っていました。日本は“自活のため”と称して朝鮮半島を奪い取ったあと、ロシアを中国から追い出すことに成功し、満州を影響下に収めるために中国と戦争を始め、さらに華北・華中から華南へ進出しました。十五年戦争においては、その拡大の経緯からいっても、日本軍はその本質としては中国とずっと戦ってきたのです。日本人はこの戦争でアメリカ合衆国軍に敗れたと考えている人が多いようですが、対英米蘭戦争の開戦を待つことなく、中国戦線は作戦範囲の拡大と裏腹に泥沼化し出口が見えなくなっていました。
私自身は、「中国は、欧米列強と日本の対立のために最前線で戦わされた」というのが実情に近いと思います。とはいっても、「中国が日本の世界征服を足止めした」ことは、日本にその意志があったと認められる以上、決して嘘ではありません。
そのほかの主張について、いちいち言及することは、ここではしません。個々の事象について、事実の正確性を争うことはできるでしょう。しかし、細部の正確性にこだわるあまり、その事象のもつ意味を見失い、誤った結論を導くことは、まさに「木を見て森を見ず」。ましてや、事実の正確性を争って相手の主張を否定し、他の事実からでも容易に導き出される結論を否定することは、茶番以外のなにものでもないのです。
産経新聞さま。なぜ、長崎平和宣言の全文が書けないのでしょう。広島平和宣言は全文掲載しましたよね?
と、軽く振っておく。ついでなので、代わりに全文を紹介しておきます。
まあ、意地悪く推測すると、長崎平和宣言は図星なのである。つまり、7日の主張で「日本だけが悪いという見方は捨てるべきだ」と言ってしまった手前、「原爆を落としたアメリカが悪い」と言われてしまっては、「それは違う」と言えない。その意味で「図星」である。しかも、アメリカ合衆国政府が国際的な取り決めを無視したことも、核抑止力に固執することも、それぞれ図星だ。でも産経新聞の論説陣としては、いま現在アメリカ合衆国政府のとる方針、特にイラク占領にかかわるいきさつについては肯定しているのだから、いま「(国際的な取り決めを無視し、核抑止力に固執する)アメリカが悪い」とは口が裂けても言えない。だから、「(原爆を落とした)アメリカが悪い」という言葉は、本当は言いたくて仕方ない(のだろうと私が勝手に思っている)が、ノドから出かかっていても言えない。長崎平和宣言の全文を掲載すると、産経新聞の論説陣がかかえるこの矛盾が露呈してしまう。だから書けないのだ。(もっといえば、産経新聞の論説陣はどうやら核抑止力を認めていて、できれば日本でも核武装したいと考えているようだ。しかし、ここではそのことを持ち出すと話がややこしくなるし、持ち出す必要もないから議論しない)
産経新聞の論説陣には、このへんが限界なのだろう。しかし残念なことに、この矛盾を解決する方法は確かに存在する。つまりそれは、「国境がすべてではない」、ということである。アメリカ合衆国政府とアメリカ合衆国の人々とは違うのである。中華人民共和国政府と中華人民共和国の人々とは違うのである。つまり産経新聞の論説陣による主張も「日本人が悪いという見方は捨てるべきだ」という内容であれば、矛盾を生じない。「日本政府が政策を誤ったのだ」と言えばよい。ただし、これは民主主義を建前とする国に住んでいる以上、他人事ではない。日本政府が政策を誤った原因は何か。または、戦争という事態になる前にわれわれが政府に対してどんなことができるか、ということを歴史から学ぶことが大切だ。
おっと脱線した。つまり政府と人々を明確に区別しないことが矛盾を生じる原因なのである。
ちょっとややこしい説明になるので、どこまで正確に伝えられるか自信がないが、
日本政府は政府としては、中華人民共和国政府に向かって謝罪する必要はないと思う。つまり、中華人民共和国政府を相手にして戦争に訴えたことはないからだ。しかし、現在中華人民共和国に住んでいる人々には謝罪する必要はあるかもしれない。直接的な被害を被っているからである。おっと、納得できない方がいらっしゃるかもしれないので、立場を替えてみよう。アメリカ合衆国政府は政府としては、日本政府に向かって謝罪する必要はないだろう。アメリカ合衆国は戦争を仕掛けられた側だったからだ。ところが、アメリカ合衆国政府としては、広島・長崎をその代表例として、日本の人々に謝罪する必要はあるかもしれない。直接的な被害を与えたからである。
ここから話がいっぺんにややこしくなるが、では、アメリカ合衆国政府が日本の人々に向かって謝罪するような事態に(万が一)なったとして、じゃあ誰に謝るべきなのだろう。日本の人々の代表であるところの日本政府ではどうだろうか。つまり「日本の人々に謝ります」と日本政府に向かって声明を出すことは、正しくないだろうか。さきほどアメリカ合衆国政府は日本政府に向かって謝罪する必要はないと言ったが、結果的に日本政府に向かって謝罪することになるのではないか。
日本政府が中華人民共和国政府に向かって同じことをやるについて、何か異論はありますか?...例えば、よく議論にされる「南京事件」、例えば日本軍が南京で民間人を一人しか殺さなかったとしても、何百万人殺したとしても、それが本質的にどう違うというのだろう。本質は「人殺し」であることには変わりない(だから一人殺したなら何百万人も殺していい、という意味ではもちろんない)。被害にあった方の感情を、もういちどよく考えないといけない。ともかく、個々の細かい事実はおくとして、本質として何をやったのか、そのことについてどのように謝罪すべきかは、もう十分明らかになっているように思う。そのことを謝罪することに、何ら躊躇することはない。
ついに、行くところまで行ってしまった、という感じ。人々がどうでもいいと思っていることにこだわって、取り巻きを総動員してごり押ししようとしたけど、ダメなら敵はどうなってもしらん、自分の意のままになる人だけがついてくればいい、というなりふり構わない行動だ。それは、「日記のような」このサイトでもさんざん言ってきたとおりの方向だった。小泉首相は自己陶酔するほうだから、もう少し格好良く、例えば衆議院に差し戻して否決させ総辞職するといったような形で松永久秀のように自爆するのではないかと思っていた(総辞職した場合、「オレの代わりがおるんか」と居直ることもできた)が、他人を巻き込んで自爆を先延ばししたのは見苦しかった。
参議院は自己の独自性を主張し、参議院廃止の議論に一石を投じることになったとみることもできる。参議院を任期6年解散なし、としたことが、強引なやりかたに待ったをかけることになった。教科書通りの役割を果たしたといえば、そうかもしれない。
首相は、閣議の席にネクタイを締めて出向いたり、解散後の会見にガリレオ=ガリレイをひいたりして、窮地に陥って死にどころを求めているように、私には見える。勝算があって衆議院を解散したとは到底見えない。だから、端から見ればただわめき散らしているだけ。国民の声を聞きたいと言っているが、郵政民営化だけに絞ってみたところで、国会議員すら説得できないのに国会議員でもない市井の人々を説得できるはずもない。だいたい、選挙の争点になるとも思えない。細かいところは多少揺れ動くかも知れないが、仮に次の選挙で自民公明が過半数を確保しても、小泉首相は続投できずに沈没するだろう。小泉首相がその勝利を生み出すということはないからだ。
今回の解散を「純血解散」と呼んではどうだろうか。小泉首相は、自分の意のままにならない人を衆議院から追い出し、意のままに動く人と入れ替えるために解散を選んだ。その意味で「純血」。別の見方をすれば、小泉「純」一郎は「血」気にはやって解散した、ともいえる。「血」の気の多い小泉「純」一郎、と見れば、そう見えるかもしれない。そして純血を求める小泉首相の行く手は、今日述べたように、自爆しか残されていない。
ダンカン氏のひとこと。野球というスポーツが娯楽の柱として戦後の復興に果たした役割を考えれば、「野球は夢を与えているのか?」という疑問はもっともなものである。今、それだけの役割を野球を含めたスポーツが果たすことができるだろうか。
関東では巨人対阪神の一戦、視聴率は6%に満たなかったらしい。しかし、甲子園での阪神の人気は相変わらずだ。福岡でのホークス人気も既に定着しているし、札幌での日ハム、仙台でのイーグルスの人気も上がってきている。一部優良企業が球団を持って、セ・リーグだけに人気が偏っていた、そしてその代表が巨人であった、という時代は既に終わったのだ。「何しようが、勝ちゃあいいんだ」といわんばかりのやり方。確かに、野球というスポーツはルールに従っていれば何したっていい。その意味で「何しようが、勝ちゃあいいんだ」。しかし、グラウンドの外で何したっていいというわけではない。もう巨人ファンはついてこないし、そのファンも激減した。そして、巨人というチームも常勝球団ではなくなってしまった。
ファンも、形は千葉ロッテマリーンズサポーターのような応援スタイルをとっているが、この「共に戦おう」という言葉の空虚さ。「どんなときも俺たちがついてるぜ」と歌うマリーンズサポーターたちとの落差。ファンと選手の意識のギャップはどうだ。かつて巨人にも、ファンとともに戦った歴史があったはずなのに。
千葉ロッテは長らく不振であった。球史に残る18連敗や、開幕11連敗など枚挙にいとまがないほどである。そんな中でも、マリーンズサポーターはずっとついてきた。負ければ負けるほど、サポーターが球場に集まってくるという現象までみられたほどだ。阪神だって、ずっと弱かったのに、その間もファンはヤジを飛ばしながらもついてきたのである。しかし巨人ファンは違う。「強くなければ巨人じゃない」。勝つことがわかっていて応援するのである。強ければこそファンなのである。しかし、今同じく常勝軍団を築き上げたホークスが福岡に根付くまでの努力はどうであったか。世界の本塁打王としての王貞治監督に卵を投げつけた人は、ホークスが弱いことには腹を立てていたが、ファンを辞めるという選択はしなかったのである。そして仙台のファン。「最弱」「100敗以上する」と言われた東北楽天イーグルスを応援する姿を見るにつけ、野球への人気はまだまだ大丈夫だと思う。
結論。巨人ファン以外の野球ファンは、まだまだ野球に夢を持っている。結構、捨てたものでもない。
今日から全国高校野球選手権大会が始まったが、南北海道予選ですさまじい打撃戦があったようだ。
月形高校野球部は初戦を美唄高校野球部と戦った。月形は初回に先制し、2回裏に逆転されたものの3回表に大量8点を記録し10対3と7点差をつけて、楽勝の展開。しかしその裏、美唄もあきらめずに6点取り返し、1点差となりゲームの行方は混沌としてきた。月形は4回表に2点取ってリードを3点に広げたもののその裏にまたまた追いつかれ、さっきまでの楽勝ムードはどこへやら、一転して取っても取っても点を取っただけ取られる苦しい展開に、こうなれば打っていくしかなく、5回表に2点とって三度目のリードを奪ったが、その裏4失点して3度目の逆転を許し、7回は3点差まで追い上げたものの直後に4点取られ、16対23であえなくコールド負け!!ってぉぃっ16点取ってコールド勝ちするチームは数知れないが、16点取ってコールド負けする心境はいかに...コールドなくて9回まで行ったらどうなったかわからなかった試合だ。選手も監督も、結果をよく受け入れたものだ。
しかして初戦を壮絶な打撃戦で奪った美唄高校野球部は次の試合、岩見沢西高野球部と対戦。初回に1点先制したもののその裏に2点を許して先行される。そのあとも点が取れず、3回には14失点を演じてあっさりコールド負け。高校野球は投手を含めた守備が一定のレベルないと勝ち上がれないから、初戦の16失点を見ればこの試合の結果も納得できるが、うーん、なかなか派手な試合をやっているなあ。
...これやったら、月形の野球部が勝っとってもコールド負けしとるな。あきらめもつこうというものだ。
...しかし、ここまでと思ったあなた。大きな間違い。美唄にコールド勝ちした岩見沢西高野球部は岩見沢東高野球部にコールド負けを食らい、さらに岩見沢東高野球部は強豪北海高校野球部と当たって、予定調和のコールド負け。うーん、北海から月形までの実力差はとてつもなく大きい...。
強豪北海高校野球部とて、南北海道予選準決勝で北照高校野球部に零封されて完敗することになるわけだが、それはともかくとして、選手は練習は知らんけど試合は一生懸命やっとるわけで、本当に笑っちゃあいかんのだけれど、これだけ続くと笑ってしまうなあ。うーん。同じコールドゲームでも、東奥義塾と深浦がやった122対0という一方的な試合でなかっただけに、なんというか複雑な心境...
60回目の原爆忌。で先行した各紙の社説をレビュー。
5日付毎日。冷静すぎてダメ。被爆者の平均が73歳になったことをとりあげて、被爆体験を語り継ぐことの大切さを説くのはいいけど、広島や長崎に原爆を投下した核保有国の政府が世界各地に戦線を展開し、かつこの社説前段のとおり、核廃絶に対して消極的というよりも核軍備の拡大に傾いている現実をみれば、いつ「テロリストに制裁を加える」と称して「ヒロシマ?ナガサキ?死んでしまえばみんな忘れるさ」とうそぶいて核を使用するかわからないという不安に駆られる。東アジアの非核化、というのは、目の前の六カ国協議のことを指しているのだろうが、いやいや、中華人民共和国も核保有国であり、日本にも在日米軍が核兵器を持ち込んでいる。東アジアからの核兵器の廃絶もいいが、アメリカ合衆国政府の欺瞞を突いていくほうが、より早道だろう。
同じく5日付の、今度は読売。原爆投下した側を非難せずに、核廃絶を求める側を詰るとは、何事か。現実を直視すると言ってしまえば聞こえはいいが、要するに無条件で核武装を追認するだけだ。現実を直視し、反核運動の原点に返るというのなら、読売の論説陣こそ、ヒロシマとナガサキの被曝の現実をもういちど見直したらいいだろう。熱線にやられて、身動きできずに大やけどして命を奪われた人。爆風で飛び散ったガラスが体の奥深くに突き刺さった人。放射能を浴びた人の子どもたちの姿形はどうだ。
これを見て核廃絶を非現実的だと言って詰る方がどうかしている。それが仮に、本当に非現実的であるにしてもだ。しかし、人間の所行は人間がどうにかすることができる話で、当事者でもないのにできないと言って片づけてしまう人がいるほうがおかしいのだ。
とある飲み会に誘われて、「会社では静かなのにこういうところではよくしゃべるのですね」と言われた。そんなつもりないけど確かにそうだなぁ...しゃべるほうがホンモノです。空気の重いところではしゃべれないのです。仕事には自信ないし...
水曜日は曽根さんです(意味不明)。
何かと思いました。国際宇宙ステーションから200mの距離でとんぼ返りしたそうで。大気のないところで200mって、何かあったときにけっこう近いように思うのですが大丈夫なのでしょうかねって大丈夫だったんだけど。
東京書籍の教科書にこんな記述があるらしい。
祖母は孫を家族と考えていても、孫は祖母を家族と考えない場合もあるだろう。家族の範囲は全員が一致しているとは限らないのである。犬や猫のペットを大切な家族の一員と考える人もある。どこが間違ってる?
私の父は長男で、当時の常識からいえば祖父や祖母の面倒を見るべき立場であったが、残念ながら父方の祖母は、私の幼いときに亡くなってしまったし、私自身には同居した記憶はない。母方の祖母のほうは、母の兄と暮らしていて遠く離れていたから、私と同居することなど及びもつかない。つまり私自身が、「孫は祖母を家族と考えない」その孫の一人であると言われても仕方がない立場にいる。同居した経験がないに等しいのだから。ジェンダーフリーを批判する人たちは、まず家族は同居することが前提だと主張すると思うのだけれど。つまり「男は外に出て働き、女は家にいて家を守る。家族『なら』同居するものだ」と、いかにも言いたそうにしているではないか。...じゃあ単身赴任とかはどうなるんだ、あんたら単身赴任はOKで夫婦別居はNGって、そんなのどこに線引くんだ...いかんいかん、脱線してしまった。とにかく、私にとっては祖母は(同居してないというただそれだけで)家族でないことになる。「考える」「考えない」以前の問題だ。
でもそんな孫がいても、祖母にとっては孫はみんなかわいいだろう。祖母はもう二人とも亡くなってしまったから確かめることはできないけれど、同居はしていなかったけれど家族同然に思っていてくれたかもしれない。
で、その教科書の記述にあてはまると言われても仕方のない私が、あなたの言う「家族に対するある種の憎しみに近い異常な情念」を持っていることになるのだろうか?いいよ。そう思いたければそう思っていればいいさ。ああ、こんなバカな文章書いてきて腹が立ってきた。今をときめく政治家で次期首相とか言うてるやつもおるけど、大学出たぐらいやから勉強はできるかもしれんけどそういう家族もあるいうことも想像つかんのやろな。くそっ。
腹立ちついでに書いてしまうぞ。
ジェンダーフリーを批判する人たちに決定的に欠落しているのは、彼らのいう「家族」のあり方から離れてしまった人たちの視点である。彼らの主張に基づけば、父子家庭、母子家庭は異常な人だらけで、障害者などいようものなら不幸のどん底なのである。どうかしているとしか言いようがない。家庭には父母と子どもがいるものであって、父の父母も同居するものだ、という素朴な発想だけなら決して悪くはない。しかし、だからといってみんな健康的であることのほうが、今や珍しいほどではないか。「男は男らしく、女は女らしく」ということを悠長に言っていられないことだってあるだろう。それが不幸だって?男だろうが女だろうが、家族だったら関係ないだろう。まあ、やるべきことがわかっていてもできなくてオロオロすることはあるけど... (^^;
もう昼間からバテバテです。