朝起きたら辺りが真っ白。昨日のうちに帰ってきておいてよかった。朝からがんがん降ってくるのでどこにも行けない。午前中にあわてて車のガラスに積もった雪を下ろしたが、冷える冷える。
昼まえから大阪方面で強い雪になったようで、近畿地方の高速道路は昼からほとんど通行止め、この調子やと初日の出珍走もやらんやろな。ま、やってくれんほうが平和でええけど、これだけ雪がひどかったらそれ以前の問題。とほほ
他にすることもなく紅白をほげらーっと見ていたが、イ=ジョンヒョンさんが「ワ」を歌ったのにびっくりした。えっ?理由ですか?...今は今江敏晃選手に使用中ですが...
今晩の紅白では大塚明の応援歌まで流れた(笑)ので、千葉ロッテファンとしてはけっこう面白かった。
今日は恒例の、旧姫路工大天文部卒業生の忘年会で梅田まで。
1次会は鍋、2次会に例によって玉転がしして、気がついたら流れ解散。去年とぜんぜん違う展開に泡くってしまった。そのままあわてて最終電車に乗って1時間半ほどで帰宅。夜遅くにお出迎えありがとう>弟
個人的な用件というのが、当番にあたっていたお宮さんの飾り付けを今日することになっていたこと。ぜんぜん個人的な用件と違うけど...
朝から雨の降る中、門松立てたら雨が上がったので注連縄飾ったりと、うちが浄土真宗なのでまずやることもないことを経験することができてそれなりに面白かった。
ただ、おそらくあと25年は回ってこないので、最短で回ってきてももうぜったい忘れているだろうが...
朝から帰省に取りかかろうとしていたが、夜が遅かったので断念。出発が11時まえになったので、ばたばたしながら13時すぎの宇高フェリーに乗って、岡山でちょっと時間を使ってしまい出たのが17時まえ。途中姫路でひとやすみ、滝野で夕食をとって、丹波市になってからはじめての帰省にたどり着いたのが21時少しまえになった。
こんなに長い距離(じたばたしたら300kmになってしまった。うーん予定より30kmは長い...)を走ったのは10月11日以来ということになったが、そのときよりは随分楽だったような気がする。ヨガに行くようになって、車に座る座り方が変わったのがいちばん大きいかな。はじめの50kmでちょっと疲れたのだけれど、宇高フェリーの中でちょっと眠ったり体を伸ばしたりしたらすぐに回復して、あとは姫路で一休みしてしまえば楽勝!
いちおう、われわれの出社カレンダーでは明日までの出社なのだが、会社にとっては個人的な用件で28日を休むので、最後の出勤日。
ということなので、残念ながら適当な時間に帰れず、気がつけば日付が変わっていたのでした。
久しぶりに「週刊社説レビュー」。
読売25日付。産経も25日付。いやあ、なかなか手厳しいね。国内で起こっている未解決の誘拐事件だってあるんだし、いわゆる「拉致疑い例」でも朝鮮民主主義人民共和国(以下今日の範囲では「北朝鮮」と称する)政府とはぜんぜん関係ない事案だってあった。にもかかわらず、北朝鮮政府が今回でたらめな資料を出してきた、というだけで敵対行為を煽るとは...
私は寡聞にして、読売新聞にしろ産経新聞にしろ、社論としてアメリカ合衆国政府による戦時中の日本人・日系人強制収容について糾弾した、などということを聞いたことがない。同じように日本人の自由を奪い、不当な処遇を与えた行為であるにもかかわらずだ。しかも数からいえば、拉致は疑い例まで入れてもせいぜい1000人にならず、在米邦人・日系人強制収容は10万人を越える規模である。そちらをずーっと放置しておいて、いまさら北朝鮮政府をこれだけ非難できるというのは、これはいったいどういうことなのか。戦争中だから仕方がなかったって?じゃあ、北朝鮮と平和条約をいつ結んだ?
アメリカ合衆国での日本人・日系人強制収容の問題は、紆余曲折を経て、戦後40年以上たってようやく議会が国を代表して謝罪し、政府補償という形で決着をみたのであった。同じ旧西側の、それも最も親しい国と考えてよい国の政府にしてこのとおりなのである。これを踏まえれば、北朝鮮のようなあまり親しくない国の政府であれば、本当のところを引き出すためには時間がかかるであろうことはあらかじめ予想できる。性急に経済制裁を言う意味は、どれほどあるのか。仮に経済封鎖が成功したところで、拉致された人々が帰ってくる保証はどれほどあるのか。あのとき日本政府は経済封鎖されたことを口実に、世論を巻き込んで開戦に及んだのである。時代が変わったところで人間の考えることはそんなには変わらない。北朝鮮が非常手段に訴えるようなことがあれば、大韓民国の人々がいちばん困るはずだ。大韓民国の政府や国民の立場を無視してまで突っ走る意味はどこにあるのだろう。自分たちの国の人々が拉致されたのを非難して、自分たちの国が不利益を被るのはまだいい。そのことでよその国の人々に迷惑をかけたりその命を奪うようなことがあれば、いったいどうするべきなのだろう。いわゆる「9・11」同時テロでアメリカ合衆国の人々が亡くなるのは許せなくて、イラク戦争でイラクの人々が亡くなるのはかまわない、朝鮮半島で戦争が起こって朝鮮半島の人々が亡くなるのもかまわない、こんな考え方をする人もいるようだが、一体どうなってしまったのか。いつから、命の価値に差がついたのだろう。
26日の毎日は企業倫理の問題をとりあげる。社員に向かってさえ「コンプライアンス」などというわかったような言葉を使う企業には、呆れてモノが言えない。その意味するところが重要でないなどとはいわないが、「職人・商人の心意気」といったような、日本語として既に定着していてかつそんな内容をはるかに飛び越す言葉を殺してまで広める言葉なのか。
モノを作って売ること、あるいはサービスを提供することは、法律に違反していなければいいというものではない。本業においてそういうことができない会社は「サイテー」で、職人あるいは商人の集団と呼ぶことすらできない。モノを作ること、あるいはいいモノを売ることに誇りを感じるのであれば、少なくともつけた値段に恥ずかしくないものを作る、あるいは売ることだ。それは「企業倫理」とか「コンプライアンス」とかいった言葉が知られる以前から行われていたことで、目新しいことでもなんでもなかったはずだ。
仕事で寝不足のうえに電話でお呼び出しをいただくなんて。最悪の、「今年最後の週末」。
こうなったらはよ寝てやる。ぐすん。
途中夕食をとりに外出したりしたが、結局25時まで仕事するなんて。
だからやねえ、
「わしは仏教徒やからクリスマスなんか関係あらへん」
などと強がるやつに限って、お釈迦さんの誕生日を知らんのである。まあ、困らんからええんやけど...って、去年もおんなじようなことを書いとったんやなあ。
実は月曜日のトラブル勃発以降仕事で他に手が回らずあまりよろしくない状況。日付が変わってから帰ってくるありさま。
アタック25の放映が終わってあちこちの掲示板で当日のねたばらしをしつつコメントをいただいたりしているが、わしシステムエンジニアと違う。
このところ忙しかったので、社説を眺めることができなかったが、15日の産経はひどい。災害を乗り越えよう、ということでもない。「超える」という文字を使ったことの意味はどこにあるのだろう。要するに金持ちになって慈善団体に寄付しましょうということ以外にはまったく意味のない主張である。個人、企業、国や地方公共団体は災害にあたってどんな風に備えるべきか、あるいはどんな風に準備するべきか、それを議論しできることから準備することで“災害を超える勇気”を持つことができるだろう。
放映が終わったのでさぞかし職場でもツッコミを浴びるかと思ったがあのような結果ではさすがにそうでもなかった。パネルはどんなふうにとっても結果には大差なかったと解釈されたらしい。むしろテレビ映りとか、解答権とられたあと解答者を見る動作とかにツッコミを食ってしまった。あと、本人はたいへん緊張していたのだけれどこの評価はみごとに真っ二つに分かれた。
そんなのんきなことを言っている場合ではなく、朝っぱらからトラブル発生で月曜からいきなり23時って...
西条駅伝競走大会に2年続けて参加。今回も3kmだったが、長かった...
昼は参加者でお好み焼きへ。まさか酒を飲みながらアタック25を見ることになろうとは。
というわけで放映が終わったので、2日の続き。
1問目。いつものように人物当てクイズ。昭和45年東京都生まれ。へ〜え。しゃべり方に特徴がある?そうなんや。あっ、緑の人が押した。「つぶやきシローさん」ぶー。ふうん。毒舌?ああ...そうね。ええ...あっ、長井秀和や、押さんと!
あっ、押された。やられた...
「赤」「ナガイトモカズさん」
よっしゃもろた。ランプが消えたのを見届けて押した。
「はい青」「長井秀和さん」「そのとおり。確認しましょう。...13番に青が灯ってスタートです」よしよし、とりあえず答えゼロというのはなくなったぞ。鼓動が速くなっていくのがわかった。もっと早うにきてほしかった!
このあと一般問題が続くが、押しても押しても押し勝てない。1番のカドに入れる勝負どころで映像4択。「これはJIS配列のキーボードです。このなかで"A"は何番?」押して「いちばん!」と答えたが解答権は自分になかった。ああ...児玉さんにフォローしてもらって、赤の方が改めて「いちばん」と答える。さらに動揺する。
そこからアタックチャンスまでの間、何をやったのか思い出せない。とにかく赤の方がお強くて、がんがんリードを奪っていく。
アタックチャンス前に23番を押さえていたが、ここで休憩に入って監修の堤さんにパネルのねらい所をうかがったのは私一人。「15番には入りますけどどこを空けましょうか」「うーん、もう1番とってもカド空いてないからね。5番にしましょう」と言われた。見かねて児玉さんも「ね。2番をアタックチャンスのねらい目にして、右端一列を取りに行きましょう」と割って入る。
一段落して児玉さんが解答席にあめ玉を配ってくださった。あめ玉を取り落として「ああ、めちゃくちゃ緊張しとるなあ」と思う。緊張をほぐしたい一心でいただいたあめ玉を母と弟にあげようとしたが、これにまた手間取ってしまう。ぜんぜん立ち直れない。そんなに時間があるわけなくて、「じゃあそろそろいきまーす」の声にあめ玉をかみつぶしたら舌を噛んでしまい、舌の右奥がふくれてしまった。痛い...
でもそんなことでは待ってくれなくて、本番へ。アタックチャンスはわからない上に赤の方がとってしまったので、それでジ・エンド。わたしは最後の一太刀で20番をとってそれまで。結果は赤22枚と圧倒して、緑2枚、わたしが1枚だった。
自分のしたことといえば、何度押しても押し勝てなくて土星の衛星「タイタン」を答えられなかったことと、押せた問題では11番、23番、20番と言ったことは覚えているけれど、それ以上はもう思い出せない。押し勝てない間に赤の方がどんどん答えていって、私には勝負所がなかった。
最後のフランス縦断旅行をかけた問題、「今日はある都道府県をお答えいただきます」に、パネルを空けきったところで灯台が見えて、ははん、こりゃ千葉か神奈川か静岡あたりやな...と思っているとVTRが進んで、梅とみかんと醤油が見えたところで「ああ、こら和歌山や」和歌山城が見えて確信。赤の方も「和歌山県」と答えてフランス縦断旅行を獲得された。おめでとうございます。
収録が終わったが、まごついている間に私の応援に来て下さった方がどんどんと児玉さん沢木さんのところへ行っていた。もうそれだけで慌てる。最後に児玉さんのところへ行って記念撮影。沢木さんに「先走ってしまってごめんなさい」と謝ったら、「最後にパネルが残ってよかったですね」と声をかけられた。うれしかった。
最後にメイクを落としてもとの応接室に戻り、賞品をいただいて解散。
反省点としては気持ちを作れなかったというか切り替えができなかったということがほとんどすべて。早押しに弱くて押し勝てなかったのが直接の敗因だけれど、そこへ行くまでに勝負は終わっていたという感じ。朝からずっとそわそわしてしまって、自分を落ち着かせるためのポイントを一つもつくることができなかった。技術的な問題もあって、たとえば本番中の目線はパネルを見ていたり、児玉さんを追っていたり、問題を読む沢木さんを見ていたり。「ここ」と決めたところへ視線を固めておくことが大事なことを思い知った。パネルの取り方を気にするあまりにパネルに目をやる必要はまったくなかった。
5年後、または記念大会で再挑戦することにしよう。
二日酔いでぼろぼろ。買い物に出たのが19時すぎで、それまでは外へ出るなどとは考えられなかった。
忘年会ということで、仕事を見捨ててとっとと帰る。
なんだかどこへ行ったのか記憶も定かでないが、新居浜から帰ってきて時計をみたら3時まえだった。うーん。
というわけで、ずーっと忙しいのであった。これが2週間前にきていようものなら、「おまえこんな時に何しとんねん」と言われたことだろう。
そういえば放映はいよいよ今週末なのであった。
いや〜、どうしようかね〜。
疲れる...
今日は討ち入りの日だったけどそんなことはすっかり忘れていた。ついでにふたご群も忘れていた。
月曜日からとばすとばす。気づけば23時になって、へたへた。
四国なんてがちがちの保守地盤やん...。徳島は、よく言われる「1区現象」で1区は民主党のものではあるのだが、全県でみれば自民党がまだまだ強い。そんな徳島でも、小泉首相に猛烈な批判が噴出したらしい。
と思っていたら、世論調査の結果が出ていた。選挙が終わって我慢しなくなったことへの反発であろう。参照先の記事を見てもわかるとおり、やりたいことをやりたいように、しかも黙ってやってしまうとこうなるのである。官房長官は多少懲りたようだが、首相のほうは同じことを何度も繰り返すところをみるとぜんぜん気に掛けてもいないようだ。この先、支持率は上下を繰り返しながらじりじり下がっていくだろう。選挙を気にしなくていいから、そうなっても気にする必要もない。もしかすると、小泉首相のあと自民党は地方の支持を失ってしばらく政権をとれなくなるかもしれない。もともと1区現象で都市部には見放されつつあるから、こうなると自民党にとっては相当な痛手だが、それは私の知ったことではない。
アイヌの、伝承儀式としてのサケ漁を解禁する方向だそうだ。これまでアイヌ文化には目もくれなかったから、決して悪い傾向ではない。ただし気をつけなければならないのは、「文化を保護する」としてアイヌ文化を二風谷周辺へ押し込める危険だ。保護ということばは聞こえはいいが、「保護しなければならない」という観点は、相手の文化を理解して認める、という観点とはあきらかに違う。対等以上の存在ではないということだ。なぜ対等以上の存在でないかということは、対等以上の存在であると認めてみればわかる。
対等以上の存在であれば、むかし東日本に広く住んでいたアイヌ民族に対して、権力のお墨付きを与えてこれを北海道の一部へ追いやった行為はアイヌ民族に対する迫害であるということになってしまう。日本ということばで現在くくられる地域の歴史はその様相をがらっと変える。ここからあとは、私などより詳しい方がたくさんいらっしゃる。例をあげれば、たとえば札幌学院大学の公開講座を下敷きにした「北海道文化論」などが詳しいだろう。
いまアイヌ民族に対する迫害を認めれば、またまた“一億総懺悔”になってしまい、これは何も生み出さない。よその国や民族が他の民族への迫害を行ったことを認めたときにどんなふうに対応してきたのかを知ることが、これを避ける道しるべになるのだが、そうしてしまえばこんどはアイヌ民族はじめ他の民族に対して行ってきた迫害行為がくっきりと浮き彫りになってしまう。ここから目をそらしたいがために、アイヌ民族を対等の存在として認めない悪循環にはまってしまうのである。そうしてたぶん、アイヌ民族はいつまでも狭いところに押し込められて観察の対象になるか、“日本の歴史”の言い訳として見せ物にされる程度に残されることになるのだろう。
いや〜、武部さん、相変わらずおっしゃいますねー。あなたが「自衛隊にでも入って、サマワみたいなところで活動してみると3ヶ月ぐらいで考えが変わるのでは」。ここ3ヶ月のうちですものね、ゲリラに砲弾撃ち込まれるようになったのは。
「若者の命を軽く見た発言」などときまじめに批判していらっしゃって、もちろんそれはそうだが、むしろサマワで活動する自衛隊のみなさんにたいへん失礼だ。私は自衛隊“派兵”には反対だったしずっと撤退を言ってきているが、それは現地部隊の態度とはまったく別の問題である。制約の多い中、現地部隊は自分たちにできることを一生懸命にやっているのに、そんなことはまったく考慮されず、なんか訓練にでも行っているように言われてしまった。
自衛隊を悪ガキ引き取らせるとこみたいに言うな〜!!
自衛隊は更生施設と違うねんぞ!!
悪ガキを立ち直らせるために武器持たせとんと違うんやぞ!!
ま、世間を騒がせるどんなガキよりも武部さんのほうが悪そうやけど。
アトレー7は11月26日をもって生産を終了したそうだ。いい車なのに、残念だ。
アタック25放映の録画準備にHDD・DVDレコーダを調達に出かける。ボーナスも出たところでちょうどよいタイミングだった。で結局、下調べしたとおりの機種を偶然にも手に入れた。
いや、ちゃんと店員の話を聞いた上での結論なのである。あんまり値が張るようだとパソコンを買い換えてチューナーをつけようかとか、パソコンで編集しようと思ったら(たぶんしないけど)どんな機種がいいんかとか、記録メディアはどうしたらいいんかとか、あれやこれやとほじくった上での選択だった。
でごちゃらごちゃらと線をつなぎかえていたら不覚にも18時を回ってしまい、SUNTORY SATURDAY WAITING BARを聞き逃す。まあ、仕方ないね。
学力低下だって。まあ、某局の街頭インタビューで「活字?何それ」と答えているのを見たが、さもありなん。活字なんて見たことない。(2)の意味で聞いているのなら別だけれど、「最近活字見てますか」という質問には普通には(1)の意味で答えるものだろう。活字なんてパンライター以来見てないですよ...
とか言ったりして。モノとしての活字を目にしたことのある世代は、どこから上なのだろうか。パンライターの消滅と日本での活字の消滅というのはほんとうに同時なのだろうか。もしそうであれば、私の世代がほぼ境界線になろう。
話がそれた。学力低下である。ほんとうに「学力低下」と呼んでよいのだろうか。科学的リテラシーの分野では世界トップレベルらしい。“科学的リテラシーとは、「自然界及び人間の活動によって起こる自然界の変化について理解し、意思決定するために、科学的知識を使用し、課題を明確にし、証拠に基づく結論を導き出す能力」”なのだそうだ。へーえ。科学教育も捨てたものではないのだろうか。
しかし、ここで言われている「科学的リテラシー」というものは、科学的にモノを考える、というのとは微妙に異なる。つまり科学的リテラシーという言葉においては使用する道具は「科学的知識」であるのに対して、科学的にモノを考える、というのは「科学的手法」を使うという違いだ。
何のことかわかりにくいかもしれない。たとえば、こういうことだ。
私が今まったく知らない土地にいるとしよう。右も左も西も東もわからない。たまたま晴れていて太陽が見えているので、日付と時計を頼りに方角を知り、目的の場所に行くことができた。これは“科学的リテラシー”に属する。つまり太陽が東から出て西に沈むということ、それに1日かけて1周するという科学的知識を使ったものだ。
野球をしていて、ある打者にはいつも打たれる。何を投げても打たれるような気がする。そこで誰かに記録をとってもらい、どのコースにどんな球種の投球をして打たれたのか調べてみた。すると、実は自分たちの配球がパターンにはまっていたことがわかり、パターンを変えてみたら打たれなくなった。これは“科学的にモノを考える”ほうに属する。つまり事実を調べ、その意味をよく検討し、仮説を立てて検証するというやりかたは、科学に属することがらでなくても科学的手法と呼んでよい。
「学力低下」という場合、たいていは「モノを知らない」つまり知識がないことを問題とする。たしかに、常識的なことがらについて知らないと周りが困るだろう。しかし少なくとも統計を見る限り、日本に限っては世界のレベルと比べてまったく問題ないところにいる。この程度で「学力低下」として騒がれるのなら、子どもたちがかわいそうだ。
15歳には難しいだろうけれど、科学的リテラシーよりもむしろ科学的手法の修得のほうが重要だ。
血液型ぐらいで、その人の性格や能力、それに日々起こることまでわかるわけがない。それは身体的特徴や門地についても同じことだ。また生まれた日についてだってそうだ。試しに調べてみればいい。自分と同じ血液型の人、同じ日に生まれた有名人、自分の親兄弟や親戚について考えてみたところで、あまりに馬鹿馬鹿しくなった。私はそれ以上に調べる気がしない。
あまり目くじらたててあげつらうつもりはないが、血液型や星占いを酒の席ででも職場の人に話題に出してほしくない。私も含めて大半は、いちおうエンジニアのはしくれである。普段まったくそんなものは相手にしないということかもしれないが、エンジニアがそんな非科学的なことを話題にして否定的にみないようでは、底が知れている。
小泉首相が「スポーツと政治はあまりからめないほうがいい」と言っていた。
就任当初なら、「ああそりゃあもう、大歓迎だよ。楽しみだねえ」というようなことを言って満面の笑みを浮かべていただろう。そしてその発言そのものが、“スポーツと政治をからめ”ていなかった。よく言えば慎重になったともいえるが、代わりに仏頂面になることが多くなった。彼のもつ、ある意味での天真爛漫さに人間らしさや近しさを覚えていた人々も、少しずつ彼から離れてきたことだろう。
これまで私も指摘してきたように、彼には配慮というものが欠けている。それは性格のもので、それをもって直ちに彼の欠点と呼ぶべきものではないのだが、それを補ってきた魅力のひとつが影をひそめてしまったことは、彼の周りを固めてバランスをとっている人々の心を離れさせてしまうことにつながる。バランスを失ってしまうとひとつの方向に向かってまっしぐらに進むことになる。配慮に欠けた人がまっしぐらに進むのは自分の思いの成就以外にない。その思いがどんなものであれ、一つの方向に突き進んでいくことは危険である。
愛媛産には、愛がある。ということで、こんな方に「おいしー」といって飲んでいただけるのであれば本望です(違
来年のパシフィック=リーグの日程が発表になっていた。
千葉ロッテは開幕いきなり楽天との連戦。その直後に大阪ドーム3連戦が組まれているがたぶん観戦は無理。できそうなのは6月4日の甲子園・対阪神戦、25・26日の対オリックス(神戸)、8月13・14日の対オリックス(神戸...ああ、このカードは難しいな)、というところ。あとは土曜日の福岡開催に多少の望みをかけるしかない。
あ〜、武部さんのご発言には参りました。「自分で行ってみたらいい」という言葉は、考えてみるまでもなく「本当のことを知りたければ、勝手にイラクに行って香田さんのような目にあえばいい。政府は身の安全を保障しない」という言葉と同じことだ。こんな発言をそのまま放っておいていいわけがないが、彼は自分の言葉を撤回したりはしないだろう。
はじめサマワには報道陣もいたが、自衛隊によって報道の自由が制限されていた。そのうちに危険になったからといって報道陣をクウェートへ“撤退”させたが、サマワの安全性をアピールするためには、たとえ報道の自由を制限したままでも報道陣を自衛隊に随伴させておくのが賢明な選択であったはずだ。報道陣にさえもまともに身の安全を保障できないのに、勝手にサマワに行って帰ってくるということがどういうことを意味するのか。権力による恫喝を、このままおめおめと許してはいけない。
なんか、こそこそと行ってアリバイ作りました、という印象を受ける。クウェート側から入ってサマワへ行くというのは、首都バグダードからは安全な移動手段がないと白状しているのと同じことだ。つまり日本でいうと東京の治安がよくないので釜山から福岡に渡って、「福岡は平和です」と主張しているようなものではないのか。それにその福岡へさえも報道陣を連れて行かないという状態。人々の目や耳を奪っておいて、それでほんとうに大丈夫なのか?
もうたいがい放っておいてあげてほしい。一体何のために、記者会見までさせてこの家族に感謝“させる”必要があるのか。変な話、曽我さんは家族のことを考えれば、ジェンキンス氏の家族の近くへ行く選択肢も、場合によっては朝鮮民主主義人民共和国に戻る選択肢もあったが、世論が曽我さんを佐渡にしばりつけたと言っても言い過ぎではない。誰が世論をそのように仕向けたかは別としても、そのことに感謝しなければならない家族の立場っていったい何なのだろうか。よくわからない。
鹿児島・中之島沖の瀬渡し船転覆。中之島には知った人がいるだけに一報段階ではたいへん驚いたが、その方は今度の事故には関係なかったようで、ひとまずは安心した。
しかし、船長が逮捕されるというのはどういうことなのだろう。証拠隠滅といったって船は転覆しているわけだし、逃亡するといったって空港のない島なのだから船で出るしかないわけで、身柄を拘束することにどれだけの意味があるのかよくわからない。うーん。
うお、完全な見落とし。
2日付朝日。この日は社説をぶちぬいてイラク撤兵をよびかけた。いまやイラクの治安は失われており、かつ自衛隊以外の支援活動が充実しはじめ、自衛隊が駐留して行っている活動よりも効果をあげることが見込めることから、駐留地サマワからのオランダ軍撤収を機会に自衛隊も撤収して別の支援の道をとるべきである、との趣旨である。
賛成だが、これで世論をリードできるかどうか不安。ここはあえて世間の半分ちかくを敵に回してでも、「自衛隊は自分たちの力で自分たちを守れ」「テロに屈するな」といった自衛隊の支援目的を度外視した議論、無責任な態度やしょーもない虚勢を批判してほしかった。また、民間人の被害に触れたのはいいが中途半端で、もっとはっきりと「日本国籍の民間人の命をかけてまで行わなければならない支援活動とは何か」と強く主張してほしい。
収録に来て下さったみなさまには当日のうちに感謝のメールを出しておいたのだが、遅くなって悪いなあと思いつつその返信に返信する。収録の様子が面白かったとか、あと児玉さんを生で見られて写真を撮ってもらえたとか握手できたとか、けっこう喜んでもらえているようで、よかった。
さて私がアタック25に狂っている間も世間は休んでいなかった。
愛媛新聞4日付社説から。今国会がどれだけトリッキーな議事運営になってしまったことか。世間が国会に議論してほしいこと、たとえば景気の拡充策、政治献金の問題、イラクからの撤兵問題などなど、これでは国会議員がなべて給料泥棒と言われても仕方のない状態になってしまった。小泉首相が党内の勢力争いを仕掛けて大成功したため、自民党が“小泉党”になって骨抜きにされ、有力な後継者や対立軸がなくなってしまって、それがために立法が行政を縛れなくなってしまい、ますます小泉首相のもつ権力が増大してしまう結果となったのである。
以前に予言したとおり、小泉首相はやりたいことをやり放題にやってしまうだろう。まして、これから先大きい選挙はないから、それを食い止めようとすれば草の根レベルの活動になってしまう。
ただ、先に見たように外交では手も足も出ない。このまま行政の“内弁慶”が続き、景気の回復がみられないなら、“大東亜戦争”前夜が再現されるかもしれない...
昨日のうちに西条に戻ってきたが、めちゃめちゃ気疲れしたせいか、それとも舌を切ったせいか朝から熱っぽく、でも今日行かないと変な詮索をされてしまうので無理をおして出社。出場者の名札をもらっておいたので、それを「証拠物件」といってみせびらかす。 (^^;
あちこちで「それでどうやってん」と質問攻めにあうが、「それは放送当日まで口止めされてますんで...」で逃げ切る。収録の中身とかは結果に直接関係ないので、それは嘘をつかずに答えておいた。フランス旅行の日程とかも聞かれたので、それにも正直に答える。
ただ、来年1月の社内報の原稿をぎりぎりまで待ってもらえたので、そこは結果含めて正直に答える。そのあとはもうぼろぼろで、とっとと帰る。
いよいよアタック25収録当日。
10時半に知人宅を出て大阪駅へ移動し、応援して下さるみなさんとの待ち合わせ場所を確認してから地下で昼食。そこから一団を引き連れて朝日放送へ移動。そこで全員合流して、応援して下さるみなさんを見捨てて(?)ひとりだけ局舎に入る。
受付で入館証などをもらって、応接室に通される。既に2人がお待ちになっていた。お話をうかがうと、お二人とも本番に出場なさったご経験があって、しかも優勝なさったこともおありだそう。お一人はなんと年間チャンピオンになられたとのことで、早押し機をさわったこともなければクイズ研究会に入っていたこともないまったくどしろうとの私には、それだけでもう十分プレッシャーだ。そのうちあと一人の方が来られて、これで全員。最後の方ははじめてとのことだけれど、態度には余裕が漂っている。
そのうちにディレクターの方がお越しになり、導かれてメイク室へ。簡単にメイクして、次の待合へ。そこでしばらく待ったあと、こんどは別のディレクターの方がお見えになって、これからのリハーサルと本番の段取り、それに本番ルールの説明があった。あとからフロアディレクターの方も見えられた。
さて時間が来て、いよいよスタジオへ移動だ。ずっとノドが渇いていたのでそれを口にしたら、お茶をご用意下さるそう。へへえ。ありがたいことです。どうやら、自覚症状はないがひとりだけきれいに舞い上がっているようだ。階段を上がった廊下で児玉さんと遭遇して、解答者みんなで頭を下げる。スタジオに入ると、既に観客のみなさんは着席していらっしゃった。さきほど応接室で応対してくださったディレクターの方が「解答者のみなさんです」と紹介くださって、観客のみなさんから拍手をいただく。
そこから簡単に説明をいただく。はじめに早押しボタンを押す練習。
「合図を出しますので、それにあわせてボタンを押して下さい」
といわれて、せーので押したら私が一番速い。よし。押し負ける気はしないぞ。
さらにリハーサルへ。まず本番同然に冒頭の人物当てクイズをやったが、ぜんぜん答えられない。あらあら、という間に緑の方がお答えになる。ううん。次はパネルをいくらか埋めたあとにパネルをとる練習。私の問題は「最近話題の薄型テレビ。液晶テレビと何テレビでしょう?」押して「プラズマディスプレイ」といったら児玉さんに「余計なことは付け加えないように」と注意された。ええーっ、プラズマテレビという言葉はおかしかろう。さらに「もうすぐお正月ですが、児玉さんが小さい頃得意だったお正月の遊びは何でしょう。(えっ、そんなん知らんわ...)かるたとり(あっ、なんや三択か)。こままわし。テレビゲーム。」押して「こままわし」と言ったら児玉さんが「ぼくの子どもの頃にテレビゲームなんてないよ...こんな問題作ったの誰?」とご発言になった。解答者をリラックスさせようと気をお遣いになるのはいいのだけれど、私は一人でさらに高いところへ舞い上がっていく。
そしていよいよ本番だ。児玉さんは慣れたものでオープニングへ行く前にすっと表情を作ったが、私は朝からあわただしくしていたこともあるしリハーサルから本番へはすぐだったので、気持ちを作れない。うーん、とにかく深呼吸して(違うってば)、勝負は今から。
というところで、続きは放映後に。
もう余裕ぶっこいて仕事してる場合でない。定時に仕事を見捨てて大阪へ移動。移動中、ようやくはじめてアメリカ横断ウルトラクイズの過去問を読み切る。
知人宅に到着して、そこからまた調べもの。2時40分にようやく就寝。