tMadの記録・2003年12月


12/30 Tue. / 12/31 Wed.

姫路工大天文部にいたころに兵庫県立看護大の天文部にいた方どうしが結婚するというので、30日夜に姫路工大天文部卒業生の忘年会を兼ねて梅田で飲み会。1次会は謎のロシア人ウドンスキーしたあと2次会玉転がしして、そのあとひっさしぶりに徹夜でカラオケへ。またまた古い歌ばっかり歌って自己満足にひたるのでありました。
ちなみに思い出せるだけの、歌った曲目(歌手名グループ名敬称略します)

わし、いったい何歳やろ...

さすがに昔のような体力ないので、3時すぎたらおやすみモードでした...

6時過ぎに解散して電車バス乗り継いで、氷上に9時前には着きました。すぐ寝て起きたら17時前でした。こんな年の暮れってあり?


12/29 Mon.

昨日の続きアトレー7という車に乗っているが、これがなかなか、長距離に向いたいい車だ。
この車を選ぶにあたって

を考えて買ったのだが、裏腹に

という欠点もかかえている。

とはいえ今のところ、この車で北は北海道、南は南北海道...というのはうそで、北と東は福知山、西は松山、南は高知まで計7府県を走ったがほぼ問題なし。大人5人で高知道の上りも平気で走れた。あと1人多かったら危なかったかも。川之江城はちょっと怪しかったけど...

で、結局何が言いたいのかというと、
「でも、結局7人乗ったら高速走られへんやん。7人乗りの意味ある?それにちょっと荷物積んだらもう足置くとこなくなるやん。7人、人間乗ったらそら荷物かてバカにならんで。どこに置くん?望遠鏡載せたら5人乗りになってしもて、それやったら普通の乗用車と変わらんやん。それから、確かに高いところから見下ろすんは、運転しやすいのは間違いないと思うけど、それにしても床、高すぎ。」
こんなものでいかがでしょう?


12/28 Sun.

朝9時前ごろ西条を出て、氷上に着いたのが夕方の4時半ごろ。西条からずーっと下道使って、高松から宇野までフェリーに乗って移動したと思えば、ずいぶん短い時間で移動できた。ま、たまたまフェリーの時間がよかったから、というのは大きいのだけど。
しかし、7時間半で移動できたのはやっぱり体力のついてきた証拠だ(と思う...ちょっと弱気)。これまでは西条から高松まで高速使ったとしても、どうしても9時間以上かかっていた。まあ、距離によって高速使ったほうが疲れることもあるだろうし、今回は帰りにどこにも寄らずに帰ってきたというのもあったのだけれど。

しかし、瀬戸大橋使うと、結局前後も高速使ってしまうので、片道九千円以上するけど西条から姫路まで3時間半、氷上までだと5時間ほどあれば余裕ぶっこいて着いてしまう。悩ましいけど、独身のあいだはできるだけ下道使って帰ることにしよう。

というか、いつまでも独身でいるわけにも...


12/27 Sat.

今日から年末休暇。朝早くから起こされたので、昼寝したりだらだら過ごしてしまった。


12/26 Fri.

NHK「映像の世紀」再放送に釘付け。この時期にやってしまうNHKも、ある意味ではたいへんなものだと思う。
見よ、いわゆる「イラク戦争」と、この20世紀の戦争とは、本質的には何も変わっていないではないか。政治権力がその支配する人々を戦争、いや、侵略へ仕向けるやり方。人々がその侵略の被害者になってしまうこと。そしてそれにもかかわらず、味方の被害は「尊い犠牲」と呼んで士気の高揚に結びつけ、敵の被害は「些細な過ち」として握りつぶしてしまうこと。いつも敵は「卑怯なやり方で」味方を殺し、味方は「正々堂々と」敵を片づけていくこと。
しかし、実際はどうか。頼まれもしないのに他人の土地を踏みつぶすのは誰か。他人の暮らしをずたずたにして、家族を離ればなれにし、嘆き悲しませるのは誰か。

好きにしていいが、他人を巻き込まないところで勝手にやってくれ。


12/25 Thu.

えーっと、書くことがなかったので背中をかきました。

というのも、そろそろやってみると新鮮かもしれない。

そういえば今日「キリスト教の教祖の生誕の祭は盛大にやるのに、仏教のはあまり盛大にやりませんねえ」と言ったら、「それいつ?」と返された。ひや〜


12/24 Wed.

氷上町会は混乱の末に合併議案を可決した。まあ、こんなことになるだろうと思っていたが...
となれば、氷上町民の民意も、こんなものなのだろう。田舎を出てきてよかった、こんなことで恥かかなくてすんだのだから。


12/23 Tue.

はい。会社休みでした。


12/22 Mon.

気分だけは年末、でも仕事は多くて年末モードにならない。翌日が休みなのをいいことに遅くまで残って机の片づけをしていた。だって明日また仕事だと遅くまで残れないし...

氷上郡6町の町議会本会議でいっせいに合併議案を採決しようとしたらしい。結果は、氷上町をのぞく5町で「6町合併」を可決したが、氷上町は議事運営に手間取った上、議長が副議長に辞職願を提出するなど混乱し、結局採決は24日以降に持ち越した。
氷上郡の6町合併は、市町村合併が国策である以上は、事の是非はともかく避けられないことではある。しかし、こんな状態で円満に合併できるのか。合併後に禍根を残さないよう慎重に手続きを進めてほしい。


12/21 Sun.

ハンセン病のもと患者宿泊拒否問題は正式に和解になったとのこと。ネット上をいろいろ調べてみたけど、本音がでていてけっこう面白い。
でも、まっとうなことを言っている人でも私とはアプローチが違うなあ、と思うのは、「ハンセン病のもと患者への生理的嫌悪感に基づく差別を知識で克服する」という考え方。そもそも『生理的嫌悪感』を持たないようにすることのほうが、より根本だろう。そしてそれはどこからきたのか。ハンセン病に限らず病気や障害をもつ人を社会の外へ追い出してきたからこそ『生理的嫌悪感』を持ってしまうのではないのか。ハンセン病の場合は特に、『感染のおそれが高い伝染病』という誤解があったためにさらに顕著だったのだろうが。

病気や障害でなくても、人種が違うというただそれだけのことで、その『生理的嫌悪感』をいだく対象になりうる。これは振り返って私自身の反省を込めて言うが、黒人の方をはじめて見たとき、そのような感じを抱いたことがある。最近世間一般ではどうなのか知らないが...
ところが、わたしがもし黒人として生まれてきていたらどうか。
きっと、黒人を見てもその『生理的嫌悪感』なるものは抱かないであろう。自分がそうなのだから。

わかりにくいかもしれないが、日常から目にしているなり近い立場であるなりしたなら、きっとそういう『生理的嫌悪感』は抱かないだろう。そういう人の日常の姿や生き方を目にしていて、考え方を十分体得できているであろうからだ。もちろん、遠いところで何かを読んだり聞いたり見たりして得る『知識』を通じても理解できるだろうが、やはり体で知っている、というか、感覚を共有できている、というのとは違う。
ただむずかしいのは、日常から目にしていても、立場が遠い場合あるいは対立している場合はまったく理解できないということだ。歴史上、たとえば白人がいわゆる有色人種を奴隷としていたことがあったが、常日頃目にしていても、白人はいわゆる有色人種をまったく理解しようとしなかった。しかしその状況は、有色人種が社会に参加することで変わってきた。白人が有色人種を普段から意識するようになったのである。まだまだ、差別は残っていると聞くが...
だから、ハンセン病患者に限らず、社会の外へ追い出されてきた人々への『生理的嫌悪感』に基づく差別の解消方法は、究極的にはそれらの人々の社会参加以外にはありえないだろう、と思う。「社会参加」というと曖昧な言葉になるので、次のように言い換えよう。

「何かの機会をとらえて、普通の話をすること」

社会の外で生きている人々を、社会の中で目にする機会といえば、せいぜい「社会の中で生きている人並みになろうとして努力する姿」だとか「社会の外で社会の中の人々に向かって自分たちに目を向けるように訴える姿」ぐらいのものであろう。それは社会の中に生きている側にとって、(それが意図してそうなっているかどうかはともかく)そういった人々があいかわらず社会の外にいることを確認するための作業にもなっている。
私はたまたま社会の中で生きてきたようだが、その社会の外にいる人に対して普通の話をすることは、『社会』の中で生きている人からもやっていかなければならないことだ。そのことが、自分の生きている社会を広げることにもなる。できれば親しくなるのがよいが、そこまでいかなくても十分だ。
そうすれば、ある意味では人の考えていることがそんなに変わらないことがわかるだろう。だからこそ、社会の外に追い出されていることへの彼らの思いも理解できるだろうし、また私の書いているようなことも理解できるかもしれない。

また、社会参加は話をすることだけではない。私は、いわゆる「ネット上」でのそうした人々の社会参加を期待したい。一般社会では社会参加がむずかしくても、いわゆるネット社会ではまた違った方法をとることもできると思う。
もう8年も前になるが、いわゆるネットワークの発展についてある私の尊敬する方と議論したとき、私はそうした人々の社会参加をより容易にすることぐらいしか期待できない、と言ったことがある(証拠がないのが残念だ...)。

もちろん、最終的には社会の外へ追い出されている人々の日常での社会参加を目指すべきであるから、アプローチはいわゆるネット社会に限らない。しかしそこはまだまだ成長期であり、枠組みが固まりきっていない。まだ、十分な機会があると思う。

とにかく、すべての差別の撲滅を目指して、できることをひとつひとつやっていくことだ。


12/20 Sat.

あん。結局11時すぎから会社に遊びに行って、帰ってきたら18時回ってるなんて、週末の過ごし方じゃな〜い。

田舎の高校のワンダーフォーゲル部員が山で行方不明になっていたらしい。消防団も駆られたようだが、捜しながら「あんたらのほうが山慣れとるやろ」と思っていたに違いない。

最近ショックだったこと。
どこで誰に聞いたんだか、どこで見たんだか覚えてないんだけど、ある母親が、自分の子ども(男)が結婚するにあたって、
「やっと私の他にこの子を愛してくれる女性ができた」
と思った、というのだ。
それって、納得できるなあ。それだけに、わし、最大の親不孝者やと思うわ。


12/19 Fri.

「あれもこれもやらないかん」一週間なのに打ち合わせで立て込んでしまって、結局金曜日の夕方からどどーんとまとめて処理した。というか処理しきれんので結局土曜日の朝に振った。


12/18 Thu.

設計部門が営業連れてやってきて某HDDメーカーさまへ納める製品の説明をひとしきり聞く。そっち系の知識がないので勉強になったけど、たぶん右から左にすぐ忘れるのだろう。


12/17 Wed.

田舎の話ですが...氷上町会特別委員会で合併議案を否決したそうだ。これが出来レースでないことを祈るのみ。本会議の議決は22日になるそうだ。

昨日走ったけど足は筋肉痛にならず、胸が痛い。いっしょうけんめい腕振って走ったことなかったからかなあ。


12/16 Tue.

ちょっと悔しかったので、夜23時すぎから5kmほどひとっぱしりしてきました。明日は筋肉痛?


12/15 Mon.

前日に走って、へとへとになるわ筋肉痛になるわで、とっとと寝ました。


12/14 Sun.

というわけで走ってきました。ここ5年ぐらい距離走ってない(歩いてはいるけど)ので、たった3kmが遠かった...
調子こいてスタートしてみたものの、だいたい700m走ったところで頭に血が上ったようで、その時点でフラフラになった。あとはもうだらだらと走ってみただけ。1.2kmぐらいで、自分があまりに走れなくなったことがわかって、精神的に参って止まりかかってしまったほど(^^;
ゴールしたら心臓がバクバク言っていて、顔面が紅潮してしまいしばらく身動きがとれなかった。
というわけで今後の課題。

こんなもんでどう?

昼間休んでから夕方ちょっと出かけたところ、時期が時期だけに、西条市内でも電飾がみられるようになった。
何度も繰り返すが、ああいうのは夜空に輝く星の光をかき消してしまうので、はっきり言って私の好みではない。好みではないが電飾そのものがきれいなことには違いないし、「せーの」で町の電飾をみんな消してしまったところで星空が帰ってくるわけではないので、どうしたらいいのか困るが...
それに、仮に美しい星空が戻ってきたところで、いったいどのくらいの人が空を見上げるだろうか。
企業は環境問題に関心があるようなフリをしているが、それはあくまで「環境に優しい私達の製品を使ってください」ということが言いたいだけで、環境問題としてより本質的なことを考えるきっかけとなる事柄、たとえば星空を見上げるなどというな〜んのカネにもならないことは一言も触れないのである。マスコミを含む企業らは「環境問題」という何を指しているかわからない言葉でごまかし、もっと身近な問題に置き換えてこなかった。

ニサンカタンソのハイシュツリョーを減らしたら何がうれしいのか?
フロンガスのハイシュツリョーを減らしたらどうなるのか?
そんなことはジョーシキでもうみんな知っているから、改めて言わなくてもいいのか?

そもそも、こんな環境問題を生み出したのはなぜだろう。ひとつには神や仏など、畏怖の対象となるものをつぶしてきたことがあるのだろう。人間は、または科学は万能である、という思い上がりからこんな結果が導かれているとしたら残念だが、科学がいわば「神の偉大さ」や「仏の慈悲深さ」を、側面から証明している事例はいくらでもあるだろう。もちろん科学は「神」や「仏」をむやみに信じはしないが、それを「自然現象の不思議さ、すばらしさ」などの別の言葉で語っている。そのことを、科学者がもっと語らなければいけないと思う。わたしも今は一介のサラリーマンだが、まがりなりにも科学にかかわっている者の一人として、ことあるごとに語っていきたいと思う。

いわゆる“光害(ひかりがい)”の問題について、日本天文学会が環境省へ回転サーチライトの禁止についての法整備を求める要望書を提出したとのことだ。まあ、高射砲があるわけではなし、どこかの軍用機が攻撃にやってくるわけでもないし...
いや、軍用機は日本上空をうろうろしているのだった...けど、地上からのサーチライトで機影が映ったなどということはないわけで...


12/13 Sat.

来春のオープン戦日程が出ている。2/29の福岡ドーム戦ぐらいから見に行ってみようか?

明日、朝から走る予定なので、やはりとっとと寝てしまった。駅伝なので抜けることができなくて...


12/12 Fri.

職場の忘年会に出たあと、とっとと寝ました。


12/11 Thu.

えー、書きたいことはたまっているのですがまとめて週末に回します。

ついに「そして音楽が始まる」単行本をネットで購入。
番組は見たり見なかったりだったから、単行本になっているのは見た回と見なかった回がだいたい半々ぐらいかな。見た回でも本になって読んでみると記憶違いということもあったりしてまた違った感想を抱く。もっちょい読んでみてから改めて書いてみることにしよう。
ただ、事情はよく知らないけれども、番組が9月いっぱいで打ち切られたのが残念だ。さっき確認したらWebサイトも消えていて、さらにショックを受けた。
まだ放送中の局もあるというのに...

松井稼頭央の入団会見にかすんでしまったが、期待の李選手のロッテ入団会見があったそうだ。今年のロッテは残塁が多く、安打数のわりに点が取れなかった。ランナーを返す、という点からも、また一つでも先の塁へ進むという意味でも、彼の長打力は貴重な戦力になるんじゃないだろうか。
とまで書いて、データからの検証をしてないことに気づく。せっかくこのページを立ち上げたので、来年はオープン戦から何かデータをもとに議論するようにしよう。


12/10 Wed.

今週は月曜からずーっと疲れがとれないので、今日もとっとと寝ます。
書きたいことは山ほどあるのだけれど...


12/9 Tue.

出社してもずーっと眠くて、帰ってきてとっとと寝てしまったので更新はお休み。


12/8 Mon.

開戦の日。開戦から62年目、いったいどれだけの人があの「大東亜戦争」で苦しんだか、また苦しんでいるか、またその「大東亜戦争」の影にひきずられているかを考えれば、当時の日本政府の選択が正しかったのかどうかわかるだろう。

千葉ロッテねた。 小野晋吾投手が減俸、井上純外野手倍増、薮田投手が微増なのだそうだ。井上純はシーズン前半は監督が使ってくれなかったという事情があったし、薮田も後半よくがんばった。「9月のロッテ」を支えた貴重な戦力である。
ただ、「9月のロッテ」という言葉が象徴するとおり、いつもロッテはなぜだかシーズンの終わったあと、夏の甲子園が終わる頃から急に人数が揃って勝ち始めるのだった。
来年はチャンスなのだから、なんとかAクラス争いにしがみついて9月「反攻」といわれるようにがんばってほしいものだ。

そういえば、小野晋吾という名前が世間に流布するようになってから、サッカーの小野伸二選手とよく混同するようになった。「フェイエノールトのおのしん」まで聞いても、頭の中で「小野晋吾」をイメージしてしまうのだった。
こんなん、たぶん世間でもロッテファンの一部だけやないかなあ。


12/7 Sun.

最近の移動献血車ってこんな表示しているのか。「見ろ、血だ」ってなあ。自分の血だったら見るかもしれんけど...

11時前から気張って出かけて、観音寺〜川之江を回ってきた。

な〜んも予備知識なかったので、はじめに琴弾公園行って戸惑ってしまった。考えてみんでも当たり前なんやけど、砂絵って空から見んかったらちゃんと見えんのだ。有明浜に行って同じ高さで銭形を見て「あっ、そうや」と思い当たって引き返したが展望台への案内板が見あたらず、ようやく見つけて展望台へ行くと隣に同じアトレー7が並んだ。なかなか見える絵ではないのでちょっと感動した。
ひととおり銭形を眺めたあと川之江へ向かう。市内を出てすぐのパチンコ屋が「パチンコ 銭形」。
かっこええやん。「るぱ〜ん、逮捕だ〜」とか言うとるのだろうか(違

途中、道の駅とよはまに寄ってみたところ山側の駐車場に手打ちうどんの看板が...あったけど定休・日曜日だって。またこんど土曜日に来ることにしよう。

そのあと川之江城へ。西条に出張に来るようになって車窓からずーっと見ていたので、気にしていたのだ(だったら西条転勤になってからすぐ行けよ>わし)。川之江城は江戸時代には城郭を破却して使ってなかったそうで、となると当然、石垣を含めて今ある櫓はすべて復元。
三層四階(?)の天守閣の中に入るとちょっとした博物館になっている。江戸時代の川之江を再現した模型が展示されていたが、川之江というだけあって、もとは川が河口近くで海岸線とほぼ平行に曲がっていて、港を河口近くに作れば天然の「防波堤」のような形になっていてたいへん都合がよかったようだ。今では川を付け替えてまっすぐ海へ向けているため、昔河床だったところは国道11号が走っておりまったく跡形もない。それでも川之江城から見下ろすと、国道11号が谷間になっていることがわかった。

そのあと川之江のジャスコに寄る。確か以前山陽放送VOICE21の本を見かけた記憶があるので、テレビせとうちも入るだろうと思い「そして音楽が始まる」単行本があるかなあ、とちょっと期待したが、やっぱりダメ。次に高松に寄ったときにするか、ネットで買うかのぉ...
というか、せっかくエリア内の香川まで行ったんやから観音寺の本屋で探してこいよ>わし


12/6 Sat.

今日こそ「外は朝早くから、篠つく雨」(ふきのとう「12月の雨」...レビューするか?)。よく降ったので、外出はとりやめ。というかまっとうに起きたのが12時前だったりして。

先週亡くなった外交官の外務省葬。調査団の派遣もとりやめ。イラクへの増員ができるのに、なぜ調査団の派遣ができないのだろう。よくわからない。
また、外交官が任地で殺害されたら二階級特進して勲章を授けて外務省葬とするというのも、今後の前例にすることだ。業務遂行のために遭遇したのなら、相手がテロリストだろうがそうでない一般市民だろうが、同じことだ。


12/5 Fri.

珍しく8時半に出社したら、気づいたら21時半になっててそこからいっしょに仕事している4人で飲みにいって帰ってきたらやっぱり26時になったのでそのまま寝ました。2日つづけてほとんど同じかい...


12/4 Thu.

珍しく朝8時半に出社したらこういう日に限って23時半まで仕事して、帰ってから気づいたら26時になっていたのでそのまま寝ました。


12/3 Wed.

なんか、たまたま聞いたラジオで、次のような(ような、というのは正確に思い出せないから)問題が出た。
問題 1972年日中国交正常化当時の日本の首相は誰か。

  1. 佐藤栄作
  2. 田中角栄
  3. 三木武夫

え、ほんまですか。こんなん試験に出るんですか、今。
まあ私も生まれてないけど、これぐらいやったら一般常識で答えられる。ということは...ええっと今の高校生が18歳やから...11歳下で...さらに11年ほどさかのぼって...こんな問題だったらどう?
問題 1960年日米安保条約改定当時の日本の首相は誰か。

  1. 鳩山一郎
  2. 石橋湛山
  3. 岸信介

これだって楽勝やん。ということは...どういうことなんでしょうね。


12/2 Tue.

週末のお出かけ検討中。西へ行こうか東へ出ようか、悩みが多い。東へ行って香川県境を越えてうどん食って、川之江と三島を回るものか、西へ向かって内子大洲あたりをうろつくものか、もっちょい足をのばして宇和島まで行ってみるか、卯之町までにするか。
せっかく愛媛にいるのだからうろうろしたいですな〜

田舎の市町村合併の話。 どうやら丹波市という名前になりそうだ。しかし、これはちょっとモノを知っている古老から文句がつくのではないか。どこかで書き残しておくべきことなので、今日書いておく。
“丹波”という地名の由来は諸説紛々としているが、もともとはいまの丹後地方にある地名であることは間違いなさそうだ。丹波國はもとは今の丹波・但馬・丹後の三ヶ国をあわせた呼び名であり、まず但馬が切り離され、そののち丹後が切り離されたのである。つまり、いま丹波市を名乗る根拠は、それがただ旧丹波國にあるから、という理由に過ぎない。丹波の中心でもないし、丹波という名前の発祥の地でもない。
また、話によると現柏原町のほうで「氷上市」という名前に反対があったらしいのだが、柏原という地名も明治政府に“押しつけられた”名前である。それまでは栢原(かやはら)といった。たとえば、田捨女(「二の字二の字の下駄の跡」で有名な俳人だ)が霊元天皇の召し出しに返した歌、「かやはらにあるかなきかの露の身をすてるすてじと何思ひけん」からでも推し量れる。それが、明治になってからよその地名と重なるから、という理由で柏原(かいばら)に変えられたのである。つまり、むしろ『カイバラ』という地名のほうが根無しの名前なのだ。
どうして『氷上』という名前がいけないのか。柏原在住の方に、再考をうながしたい。今なら、まだ間に合う。


12/1 Mon.

とうとう12月だ。今年もあと1ヶ月、だからといって何をするわけでもないけど。

昨日の、外交官“襲撃”に関する各紙の社説を眺めてみる。

読売の社説
ティクリートでなぜ会議を開こうとしたか、という指摘は正しいと思う。しかしバグダッドでやるほうがよかったのかどうかはよくわからない。また、テロに屈するな、という言葉は勇ましいが、肝心の、安全を確保することには何も言及していない。これでは今回の事件と同じことが繰り返されるだけだ。

産経の主張
勇ましいことは読売と同じだ。また、あくまで文字どおりの解釈をすると、自衛隊の安全には万全を期するよう求めているのにくらべ、外交官や民間人には可能な限りの配慮を求めているだけだ。可能な限りの配慮をしさえすれば、人命が失われてもよいのか。産経論説陣の好きな「国益」をまた引き合いにだしているが、極端にいえば“日本に住む人々がみんないなくなっても”守らなければならない「国益」とは何か、子どもにでもわかるように説明する責任があるだろう。

朝日の社説。現地の外交官の安全を守ることを考え、そこからアメリカ合衆国政府の占領統治の方法が間違っていることを指摘し、テロへの“本当の意味での”対抗手段として復興支援のありかたを見直すことを求めている。
私の考え方に近いと思うが、言論人ならもう一歩進めて、復興支援をどう見直すのかまで指摘してほしかった。

毎日の社説。自衛隊の派遣目的は治安回復ではなく、復興支援であることを指摘している。また首相には、事件についてそのもつ意味や復興支援のありかたを語ることを求めている。
これはこれで正しいだろう。しかし、それでは非武装の人々がイラクに向かうことと変わりがない。自衛隊なのだから、実力をもって行くわけだから、ある程度の治安維持を期待されることは間違いない。であれば、むしろ自衛隊であることの意味を考えるべきであろう。

いずれにせよ、自衛隊以外ではダメだという理由がなければ、私は自衛隊をイラクに行かせることには賛成できない。そして今回は、その説明がまったく行われていないと考える。


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