ちょっと早めに仕事を切り上げて練習、のつもりが、そういえば月初の目標で12kmを5分半/kmというのを設定したなあと思い出して、距離を稼ぐ19kmのコースではなく、12kmのコースをそれなりに走ってみようと決意。出て3分ちょいのところで先輩に遭遇してご挨拶したので、ちょっと時間をとってしまったけれど、そこからまた時間を測り直し、行けるところまでいってみよう。...古川橋を通って、石鎚山駅までだいたい23分ほどかかっていたのだけれど、はっと時計をみたら16分。3分足して19分か。なんやちょっと行ったら行けるんやん。石鎚神社の鳥居の前を東へ曲がり、国道11号線へ。しばらく走ったところで500mの標柱、19分56秒ほど。ほほ。次の500mでkm単位の標柱がきて、22分23秒。あれ?5分半切るつもりが5分切りそうやん。ええい、このまま行ってしまえ!
次の500mの標柱、どこにあるか知っていたのだけれどそんなことを頭に思い描く余裕もなく、その次に気づいたら神戸小学校前のkm標柱。あわてて時計を見たら27分10秒台。頭は500mの足し算をしていたので、あれれ?と思ったが、おお、まだ5分切れているじゃないか。次も5分切るぞ。次は加茂川橋の先で1km。こんどこそ次の500m標柱を知らないので、もう目をつぶって一生懸命走るしかない。特に加茂川橋手前の土手は上りなので、ここでペースを落としてはたまらん。むりやり走りきったら、32分8秒。またまた5分を切れた。いつもなら加茂川橋で41分かかるところなのに...よっしゃ。次も5分切ったる!
ところがいきなり常心交差点で信号待ちを食らわされ、そこからもういちど立て直す。ペースを上げて次の500m標柱まで行ったら、どうにか34分30秒を切れた。次の1km標柱、時計をろくに見なかったが37分にはなってない。うわっ、それはすごいぞ。ここで標柱はおしまいなので、あとは見境なく行くだけ。いつもの陸橋を越えて横黒へ出たら、出たところで足がいっぱいいっぱい。もう時計なんか見ない。見たら気が滅入るだけだ。ともかくも前へ進んで、これでほんまに5分切れるんやろか?と不安に駆られながら、西条北中の北側の細い道を通り、さらにそのまままっすぐお堀へ出て、南西のカドで12.1kmを走りきったことになる。57分8秒、3分足して、100mで30秒かかるのを引いたら、なんと12kmを1時間で走りきってしまった。見事に5分/kmを達成し、数字だけなら目標を楽勝でクリア。やったー!
今日は練習を休んで、某知人や実家へ連絡を入れる時間にあてる。というか週末アホみたいに走ったから、もう走れるような状態じゃないしなあ。
たしかに昔から、声高に叫ばれるのは攻撃的な言説であると相場は決まっている。しかも、他人を攻撃することで自己の存在を確かめるということなら、自己の存在が続く限り他者への攻撃は止むことがない。しかも他人を斬る刀はたいてい、第三者からみればズタボロで切れ味が悪いが、斬るほうは自己の安全を計った上で斬っているのだから、斬られるほうとしては不必要に痛いし、たまったものではない。しかも、いくら強く否定したところで攻撃は止むことはないし、放置すれば攻撃は成功したと勝手に解釈するのである。
私自身は差料を差していることすら恥ずかしいほどであるが、まあ、お題目として唱える必要がある事柄であるにせよ、せいぜい、どのへんまでなら許せるかとかどのへんまでなら相手の影響の及ぶ範囲で関係のない人に迷惑をかけないか、ということを考えて線を引いてそこから先は立ち入らないようにする程度の配慮は必要だろう。相手が何も持っていないならなお、一方的に攻撃するのはサイテーの態度である。
相手を斬ろうとして自分が同じことをやろうとしていることに気づかない、こういうのが「ズタボロで切れ味が悪い」刀の好例であろう。また、今度の瑞浪市の事案にしたところで、「いじめであることを認めなさい」、という、まあ、言ってみれば本質ではないところに焦点が集まっている。「学校はけしからん、教育委員会はけしからん」などという論調はわかりやすいが、そんなことより、「なぜわれわれは彼女の自殺を止めることができなかったのか」という問を立てるほうが先だ。いじめがあったから自殺した、まあ、因果関係としてはそうかもしれない。しかし、反対にいえば、「いじめぐらいで死ぬなんて」ということもいえる。つまり、いじめにあったとしても、そこから救済することは不可能ではない。いじめることはよくないけれど、組織がある以上派閥ができ、場合によってはいじめ、あるいはそれに近い状況が起こることがあるだろう。ならば、いじめそのものをどうにかすることも大事だけれど、いじめの対象となった子どもを救済する仕組みを作ることのほうが、「いじめを減らせ!」とお題目を唱えるよりはよりよい。
まあ、そうはいっても、攻撃的な言説を唱える人は言うだろう。「いじめられて自殺するようなやつは、はじめから生まれてくるな」と。
そういえば昼から全日本大学女子駅伝対校選手権大会をちらちらと、途中で買い物に抜け出したのだけれど、眺めていた。普通はぼけーっと聞いているところなのだろうが、1km3分15秒そこそこで走れる人々というのがすっごくうらやましいというか、尊敬するというか、この世の人とは「シンジラレナーイ」というか。そういえばヒルマン監督、去年の誰かみたいに「イチバンデース」と言いたかったのか、なんというか、苦笑してしまった。
おっと、話がそれた。たとえば私が最短5区の4kmをめいっぱいで走ったとしても、今の実力だと4分30秒/kmで...18分かかってしまうだろう。うーん...
というわけで(どういうわけだか)、今日は返しの19kmを夕方18時すぎから。前半は非常にゆっくり入って、だいたい6分40秒/kmそこそこ。30分ほど走ってから6分/km、そのあと50分走ったところでさらにペースをあげて(キロ標示がないのでペース不明)、結局ほぼ2時間ちょうどで19.7kmほどを走りきってしまって驚く。これなら来月26日のタートルマラソン(ハーフで参加予定)にもそこそこのタイムで行けそうだ。よしよし。もうちょっとがんばってみよう。
今日はもともと夕方前ぐらいから、今年のあたま10kmを走る練習でやったようにスピード練習しようかと思ったのだけれど、朝ウェザーニュースを見たら日曜の降水確率が50%といっていたし、朝からレーダーの観測で四国南方沖に雨雲が見えていたので、予定を変えていつもの「Kampo★Urban Weekend」を聞いたあと、日曜日に走った逆コースで30km走ろうと外出。氷見から上って高速をくぐったら、向こうからきた車が停まった。窓が開いたら初老の夫婦が乗っておられた。「石鎚ロープウェイはこの道ではないですよね?」...あっそうか、足で走ってきたから地元に住んでいる人と思われたのだろうなあ。というかまあ、せいぜい10kmほどしか走ってないから地元といえば地元だし、まさか石鎚山に登ったことないとは言えないし。それにしても、ロープウェイのところまで行った記憶はあるけど一回だけだしもう何年前のことだか...「ええっと、この道であってます。上っていったらダム湖があるんで、そこで右に曲がってまだまだ奥です」。ははは。我ながら無難な答えをしてしまった。考えてみたら、たしかにこの道で正しいんかと思えるほど、この道の上りはきついなあ。黒瀬峠を登り切るまで平均3.8%の上りで、登り切ったあとほぼ一方的な下りとはいえ、下りは下りで足にくるわけで、黒瀬ダムまで行ったところで足にきた。いやー、ここで足にきてしまうと戻るのもおぼつかない、早すぎ...大きくは下りだけどまだ上りもあるのに。練習だからなあ。それで兎之山まで下っての上りが、あれ、思ったよりまだ走れる。で、遅いとはいえいい感じで走ってきたが、今日は国道194号に出てしばらく行ったところでぼろぼろ。武丈公園で給水したが、なんとかまだもう少しはいけそうなので、どうにかこうにか、福武に出た。でも今度こそ限界。ごまかしごまかし、歩いたり走ったりしてきたが、やはり持久力不足で、とうとう、陸橋を越えて横黒にたどりついたところで完全停止。あとはとぼとぼ歩いて、どうにか帰り着く。帰り着いたら、もうなんにもできなくなり、外出すべてとりやめて横になって、おしまい。
明日に備えて、それなりの時間で仕事を切り上げる。会社を出たのが22時、帰り着いたら22時50分ってなあ。
えっ?だらだら仕事しとんちゃうんかっ、って?ええ、それは認めたくありませんが私も立派な給料泥棒です...
日本ハムファイターズの日本一、おめでとうございました。去年の千葉ロッテと同じで、相手がどんなチームでどんな作戦を立ててくるかにはまったく関係なく、いつものように野球に打ち込んで、いつものように勝ってしまった、という感じ。8月後半にロッテを突き放し、その勢いそのままにシーズン1位通過・プレーオフも勝ち上がって、最後の栄冠にたどりついた。2年続けて交流戦を制した千葉ロッテの連覇への意欲、西武・松坂投手の日本球界最後になりそうな登板での気合い、病床の王監督に優勝を捧げたいとしたソフトバンクナインの結束、これらを飲み込んだ日本ハムの底力が、そのまま発揮されたといえるだろう。
落合監督は、泣くのが早すぎた。私事ながら実は中日のある一軍メンバーの肉親の方と知人で(本人とは面識まったくなし)、パシフィック=リーグを応援するといいながら彼の活躍にも注目していたのだが、残念ながら振るわず、こちらも残念。
ばってん荒川さんが22日に亡くなる。母が熊本出身ということで、まあ、私の世代ではよくみていたほうだろう。その後入社の年の夏から半年熊本にいたこともあったから、メディアでしばしば目にすることもあった。熊本で地道に活動なさっていたので、最近では愛媛でお目にかかることは少なかったけれど、福岡ドームに行ったとき宿泊先で朝テレビ出演していらっしゃったのを見かけたこともあった。その後特にご病気とかいったことを聞かなかったので、突如の訃報に驚いたのだった。
ばってん荒川さんは東京進出を拒み、ながく地元で活動していらっしゃった。その意味で、キー局だけでの人気に頼らず、地方の、特にラジオで活躍する人たちには、これからも是非がんばってほしいと思う。テレビはキー局偏重になっていて、地元のタレントが出てこれる枠が少ない。そんな状態では、地方の文化はほんとうに派手な部分を除いて消滅していってしまう。もちろん、地方の局でも近畿地方などは2府4県に加え徳島までも可視聴地域に組み入れているから、ここで文化を荒らしてしまう、ということは十分あるけれども、それでも東京の影響のもと画一化されるよりはよほどマシだ。
日本のスイッチ、今週は40697人中、8問2択で同じ答えが7人。おお、先週より価値があるぞ。
北朝鮮は制裁ぐらいで逆ギレしないだろう。もし逆ギレするとしたら今までに何度も逆ギレしてもおかしくなかった。「ようつべ」見た瞬間何のことかわかるなあ。新庄はここまできたら引退するだろう。免許の更新にやってこれる人に認知症の検査するなんてもってのほか。
さぞかしぼろぼろになるだろうと思っていたが、案外そうでもなかった。それなりの時間に仕事を切り上げて、今日は短めに12km。ただその12kmがけっこう負担。へろへろになってしまい、そのまま床へ。
これまでに何度か会社の先輩に30km走ることを勧められていたのをずっと気にしていたのだけれどなかなか実行に移せなくて、ようやく今週末に行けそうかな、という状況になったので、土曜日ぼろぼろになりながら、コースを調べておいた。思っていたコースだとなかなか30kmに達しなかったのだけれど、ようやく、いつものコースを逆走して福武から遍路道づたいに武丈公園まで行き、そこから黒瀬ダムを目指して走ったあと、黒瀬峠から氷見へ出て、またまたいつものコースで農免道路を加茂川の土手まで行き、古川橋まわりで帰ってくる、というところでメドが立った。ほんとうはその逆で行きたいところだったのだけれど、福武はいつもよりちょい向こうまで行くし、黒瀬峠からの上り下りの坂道の急さ加減を考えるとこっちまわりのほうがよさそうなので、「今日は自分に4時間の投資だ!」と意気込んで、これで行く。
あとになって調べてみると黒瀬峠は標高170mちょい。今住んでいるところで標高3m、というのはほぼ無視できる数値なので30kmのコース上り下り170m。こんなんやったらせめて調べてから行くんやった。しかも黒瀬ダムまでの最後の3kmが約5%の急坂だったらしい。嘘...
そんなこんなで、ぼちぼち走り始めて、武丈公園まではほぼ知った道ながら、まずまず余裕を持って走る。そこから国道194号線を南下し、さらに県道12号線へ右折。この道はこのさき20km行くと石鎚登山口までつながっているのだけれど、そこまでいくととんでもないことになってしまうので、私は5km先の黒瀬ダムを目指す。まずはじりじり上っていくが、車でなら来たことがあるはずの道なのに、どんな道だったかもうすっかり忘れている。右へ曲がり左へ曲がり、山並みの土手っ腹にへばりつきながら坂を上りつつ進んでいるはずが、あれあれ、また下っていくぞ。くそっここまで上ってきたのに。まあ、そう思っていながらもどうしようもなく、練習なんだし我慢して行くしかない。どうにかごまかしごまかし、要所要所にある、石鎚登山口までの距離標示をみながら自分を励まして上っていく。足取りは、もうこのへんからとぼとぼと行く、という感じ。どうやら黒瀬ダムがみえてきた。いままで狭かった道に歩道が現れたので、あわててとりついたところちょうどダムの手前。うぎゃー下を見たら高いぞ!怖いぞ!
それでそのあとさらに進んでいく。ようやく、目の前に氷見へ降りる道が見えてきた。ああやっとひと息つける〜。それで道に入ったとたん車の警笛が聞こえてびびってしまった。気をつけるのはわかるがお願いだから驚かさないでくれ。そのあと石鎚神社の一の鳥居を反対にくぐって、道を降りていく。下り坂一方なのでとばそうと思えばとばせるのだろうがもうそんな段階ではなく、ほんとうにとぼとぼと、下り坂を淡々と下りていくだけ。ようやく降りきって氷見にたどりつく。たどりついて西部公園から一旦西へ。ずーっと下っていたので、ちょっとした上りがとんでもない上り坂にみえてしまう。どうにか慣れたが石岡神社を通過した先の上り坂で体力を使ってしまい、農免道路にさしかかったところでもうほとんど歩いている。走っていられるのは気分だけで、何かあれば止まってしまいそう。土手を上り下りするだけでしんどい。土手の手前でおっそーい自転車に抜かれたが、いつもならついていけるのに、どうしようもなくずりずり遅れていく。土手を降りて目の前の交差点はなんとか乗り切り、その次の交差点、信号赤でようやくひと息つけるかと思ったが、無情にも青に変わり、しかたがないのでそのままとぼとぼと走っていく。もう足が上がらないし前へ進めない。どうにかようやく中西にたどり着いたが、近藤神社を通過した先の自動販売機で珍しくコカ・コーラなるものを何年ぶりかで買って飲み始めたところで、完全にストップ。あとはとぼとぼと水都橋を歩いて渡って、上腕部にびっしりと塩吹かせて帰り着いた。
着いたらちょうど昼だったので、昼食にしてシャワーを浴びて一寝入り。
このところずっと走れていなかったので、朝から会社の同僚3人と練習会と称して2時間弱走る。距離はまあまあ、というところかな。しかし頭から見境なく行ってしまったので、最終盤はぼろぼろ。そのまま疲れが出て、昼間ずっと寝っぱなし。
ほどほどに仕事していたが、どうにも疲れが出ていかんなあ。だましだましやって、明日朝からの練習会に備えてほどほどに切り上げて帰る。
ひさしぶりに徒歩で出社できたが、調子はいまひとつ。ごまかしつつ仕事して、ごまかしおおせなくなったところで踏ん切って、また徒歩で帰る。
このところ毎週「日本のスイッチ」に回答している。この「日本のスイッチ」、最近話題のことがらについて8問2択のアンケートに答えるもので、これに大勢の人が参加することで世相を映し出すといった趣がある。今週は祭りに浮かれてぎりぎり水曜の回答になってしまったのだけれど、そんなことより、先週の結果発表をみて驚いた。参加者38758人に対し、なんとみごとに「日本全国にあなたと全問同じ回答の方が……8人」!
1問目が拮抗したのと、2・3・4・5・8問目と思いっきり少数派の回答になったのが効いたようだが、うーん。
ちなみに2問目、北朝鮮核実験を受けて中国に望む役割「説得/制裁」、制裁が圧勝したのはショック。4問目は携帯やノートPCの充電池が熱くて驚いたことが「ある/ない」、熱くなるものではないの?8問目、新聞や雑誌がぬれてシワシワになったら「がっかり/気にしない」、読めればいいから気にしないという私はやっぱり相当鈍感?
昼間は普通に仕事して、夜は祭りの打ち上げ。途中で抜け出したので申し訳なくて、仕事をむりやり終わらせて打ち上げに行く。「なんか昨日みたいな気がせん〜」という発言あり。十分理解できるなあ。
目が覚めたら1時まえ。今日は伊曽乃神社からお出ましになった神さまが御旅所でお休みになるのでお迎えに行くというので、だんじりやら御輿やらが御旅所に集まってくる、というところ。それでそのあと神さまが方々をまわっていって、川に入られてからお戻りになるのをまたお送りするのである。
で、私は朝から仕事ということで、3時から8時前まで。とにかく酔ってはいけないので、シラフでだんじりをかいて御旅所へ行ったが、そこらじゅう痛くなるししんどいしで、酒が入らないとこれだけしんどいものかと思う。御旅所には人がやたらと集まってくるので、入る直前に「どうする、ああする」と打ち合わせして、御旅所の真ん前で2回差し上げてその場で回って、最後に1回差し上げずに揺する、ということになった。それでどうにか前が開いて、御旅所の真ん前に行ったが、差し上げるのにちょっと時間がかかってしまって、もうひとつ。2回差し上げてその場で回ったら身動き取れなくなって、後ろに開けてこちらは所定の位置へ。
それで夜明けまで御旅所の境内で休んでぼけーっとしていたが、もう神輿が出て行くという話で、あわててだんじりのところへ戻る。それで神輿が出て行くのをぼーっと見ていたが、あわてて舁き棒のところに入って神輿についていく。当然のことながら市内へ向かうわけで、だんじりも市内を目指して連なって行くので、「だんじりの渋滞」状態。ようやく駅西通りに出たら、先を行くだんじりがそのまままっすぐアーケードに入っていくところ、神輿は列から離れて駅へ向かっていく。本町のだんじりは神輿のあとをお供するというわけでついていって、同じに駅を目指す。ここに祠があるので、宮司さんが祝詞をあげている間に休憩。蛭子神社を出てからここまでずっと車をつけなかったので、汗だくな上にめちゃめちゃしんどい。
しばらくぼけーっとしていたが会社の同僚のさる方から「そろそろ帰ったら?」というのだけど、次は朔日市に行くというので、じゃあそこで帰った方がいいかと思って、だんじりに車がついたこともあって、神輿が出たあとだらだらと、そこまでついていってから帰る。お堀端を通ったところだんじりが集まってきていて、これは壮観だなあ、と思いつつ、これで離脱することにやや悔いを残して、来年はまた参加することを固く心に誓って、汗を落としてそのまま出社。
チームでただ一人まっとうに出社してきた上司に「昨日まつり見てきたん?」と聞かれて、「ええっ、今朝抜け出してきました」と答えたら驚かれてしまった。あたふたと仕事して、ようやく21時に離脱。宮入を見逃す。
で、朝起きたら蛭子神社。そのまま寝ていたのだった。それでそのまま花集めにそこらじゅう歩いて回ったのだけれど、どこをどう回ったのか、だんじりの中に入ってアホみたいに歌っていたのでさっぱりわからん。考えたら、飛び跳ねたりはしないけれど、やたらと下半身をいじめて大声で歌うのはロッテの応援に似ているので、一人で勝手に好きなようにやっただけである。夕方にようやく戻ってきて、一服してから一旦帰って寝る。
実は朝からそわそわしていた。会社でさる方に誘われて、今日から西条まつりで本町の御供だんじりを舁くことになっているのだった。なぜ御供というのかはおいおい...
ただ、残念なことにその方が仕事の都合で遅くなってしまって、だんじりの運行に合流できたのが駅の西。そこから商店街を回って一旦蛭子神社に戻ってくる。長めの休憩をとったあと、伊曽乃神社から神さまがお出ましになるのをお迎えに上がる、宮出しと呼ばれる神事のために伊曽乃神社へ向かう。出てしばらく行ったところでだんじりに入らされてしまい、自分がどの道をどうやって行ったのだかさっぱり覚えていないのだこれが。で、ようやく止まったので外へ出てみたら国道11号線を加茂川橋西詰まで来てしまっていた。いつものランニングコースから推し量ると、伊曽乃神社までならあっという間だ。ここでひとやすみしていただんじりが順次伊曽乃神社へ向かっていくのについていく。伊曽乃神社の前まで行って、順番を待って、石段のところでだんじりを“さしあげ”(ちょうどさっきのだんじりの写真にあるように、本来使っている舁き棒よりもさらに下から担ぎ上げる)。どうやらばっちり決まったらしいが舁き夫の私は外から見ているわけでもなく、よくわからん。で、神さまの乗り物の神輿(しんよ)が夜明けとともにお出ましになるのを待つ。お出ましになったあと、神輿はどこへ行ったのかぜんぜん姿を見ず、だんじりは伊曽乃神社を出てメロディー橋を渡った(このだんじりの右後ろ側についていたけど、見えない...)あとどこをどう通ったかさっぱり忘れたが蛭子神社まで戻って、そこで私はばったり。
あまり体力をすりへらさないよう、遅くならないようほどほどに仕事して帰宅。
はっと気づけば21時半。あわてて帰る準備し、22時に離脱。あたふたと買い物して、帰ってから今日は西条高校のお堀5周、24分53秒かかった。1kmあたり4分42秒で、ちょっとかかりすぎ。長い距離を今までにないペースで走っているのだから当然といえば当然だけれど、それにしてももうちょっと行けたかなと反省する。
日本ハムファイターズのパシフィック=リーグ制覇、おめでとうございました。今年は、特に札幌ドームでは歯が立たなかった印象がある。札幌はじめ北海道のファンに恩返ししてほしいし、今年もパシフィック=リーグの実力を日本全国に、また大韓民国・中華人民共和国・中華民国の人々にも示してほしい。
プロ野球パシフィック=リーグのプレーオフ第2ステージ、はじまったなあと思ったが放置し、今日は19km。1日休んだのと、あと大撫山下り上りの効果があって足が軽く、ちょっととばしてみたところ1kmあたり5分台前半で突っ切ることができた。よしよし。これで順調にいけば、愛媛マラソン本番までに19kmを5分で行けるようになるはずだ。とにかく、今月末の目標は、12kmを安定して1kmあたり5分半で走りきれるようになること。そのためには距離を伸ばす必要もあるし、短い距離を突っ走ってスピードをつける必要もあるだろう。
今日は走るのは休みにする。仕事が22時すぎまでかかったので、仕方がない。それでも終わらないので、明日朝はやくに出勤することを心に決めて寝る支度。
今日はいちおう体育の日ということになっていてカレンダーは赤いので、午前中知人宅にとどまってから西条へ帰る。帰ってから19km。パシフィック=リーグのプレーオフ第1ステージ第3戦、ソフトバンクが第2ステージ進出を決める。
ということで、西はりま天文台の天文教室、今日は藤原智子氏の『歴史的天文記録が教えてくれる星の姿と変動の探査』。肉眼でしか天体の観測ができなかった頃の星の位置の記録をもとに、今の星空と当時の記録とを見比べて、当時と今の星の明るさの変化を調べたり、昔は見えたのに今は見えない星について今その星がどんな姿をしているか調べたりする、というような内容で、なかなか興味深かった。
で、終わったあと、1回やってみたかった、佐用側への上り下り往復に挑戦。片道ちょうど4km、標高差はだいたい200mというところで、下りは19分ちょっとで下り、上りは28分、とくに途中1km9分50秒かかってしまって苦労する。
朝から5分半/kmを目指して8kmほど。途中国道区間を入れているので標柱からだいたいのペースを読むことができるのだけれど、やっぱり5分半にはちょっと足りないかな。それでも途中からちょっと押していって、どうにか追いつく。今月末には5分半で12kmは行けるようにするのを目標にしてしまおう。
そのあと職場のソフトバレーボールに参加して、ちょこまかと動き回って大汗をかく。すぐそこの球場で西条高校と済美高校の野球部の試合があったので、5回途中から眺めて、やっぱり済美高校の選手はデカいし投手の球も速いなあと感じつつ、さっきまでリードしていた西条高校野球部があっという間に失点を重ね、挙げ句控え投手に満塁の走者一掃の長打を浴びて、7回コールド負け。西条高校の投手陣もまあまあなのだけれど、ストライクをとるのに汲々としていたり、暴投や打撃妨害があったりしたのが残念。
で、一息入れたあと、西はりま天文台の天文教室に行くため東大阪の知人宅へ移動。
土曜から3連休で一生懸命お仕事のお片づけをしたので、ほどほどにして帰る。
考えてみれば安倍晋三という人は以前頻々にメディアに口出ししていたのだなあ。就任当初からマヌケな演説に腑抜けた答弁を繰り返しているようでは、メディアにさんざん干渉しないととんでもないことになるんじゃないかなあ。怖いなあ。
定例の打ち合わせの資料をどうにかデッチ上げたあと、方々から攻撃を受けて気づいたら22時。明日の自分に書き置きしてとっとと退社し、帰りの3km+いつもの12kmを走っておく。
3連休明けで一生懸命仕事をしたが、帰ってみたら23時だった。とほほ。
安倍首相の態度って、結局は「私の考え方はこうだ。間違いはないだろう?問題はないだろう?」というところかな。さきの十五年戦争に対する見解についてもそうだ。たとえば、私たちが、朝鮮民主主義人民共和国政府から拉致問題について「もう二度と繰り返さないし、他の国がそのようなことをすることは許さない」という言質を取りたいと思うのと同じことで、日本政府として、さきの十五年戦争で(国内外ともに)被害にあった人々に向かって「もう二度と繰り返さないし、他の国が繰り返すことは許さない」と、いずれは言わなければならないだろうと私は思う。それは、“唯一の被爆国”としての立場からとしてもそうである。そしてそうであるならば、「先の大戦で国内外に被害を与えたという事実については、率直に反省すべきだと考えている」という発言だけでは、その発言そのものに問題となるところはないが、不足であるという意味で問題だろうと思う。
安倍首相の所信表明演説を受けての代表質問を見ていたが、一言で言うと
こんな答弁なら私にもできる
という感じである。だって、どんな質問に対しても「この問題は重要なので、必要なときに適切に判断します」というだけで答えないんだもの。いつまでもこんなことをやっていると与党から不信任つきつけられるぞ。
今日から10月、結局9月の走行距離は194km、もっと走っとかないかんところだ。
と思ったのはいいが天気が悪く、結局朝から何もせず、楽天×ロッテの最終戦、今シーズンのパシフィック=リーグのレギュラーシーズン最終戦をテレビで観戦。もともと阪神×中日を生中継の予定だったのが雨で中止になったので、差し替えで生中継になった。
で、結局清水直行が完投勝利したのを見届けて一旦出社。そのあと普通に帰ってきて普通に寝る。