やった!!有銘投手完封でプロ初勝利!
西武打線を5安打に抑えて三塁を踏ませず、楽天球団創設以来初の(苦笑)完封投手になった。また零封勝利も初めてだそうだ(さらに苦笑)。圧巻は6回。安打と四球で一死一、二塁でカブレラ選手を迎えるという場面で、中村捕手の要求とまるで反対のコース、中村捕手が飛びつくほどの外角ボール球で三振に討ち取り、続く和田選手も二ゴロに討ち取った。8回にも二死一、二塁からカブレラ選手を、最後は内角の直球で見逃し三振に切って取った。制球力はともかくキレは見事。前回の登板は立ち上がりにいきなり4失点してしまったが、このピッチングで、前々回の9回零封がフロックでないことを証明した。
というわけで、当サイトは勝手に有銘投手を応援することに、今しました。
でも、千葉ロッテと当たったら話は別。
朝から、というか夜から出発。2時過ぎまでうっかり寝入ってしまっていた。あわてて準備して3時50分三津浜港発の柳井行きフェリーに乗る。柳井港から出発しようとしたところで、ちょうど大粒の雨に打たれる。困った。雨の用意は自分の合羽しか用意してない...天気は降ったり止んだりを繰り返しながら、なんとかやや落ち着く。車は山口の先、長門峡駅の先の鉄橋までひとまず移動。乗せてもらってばかりで悪いです。
8時半に着いたというのに、もう現場にお二人の方がいらっしゃった。そっか。みんな望遠レンズに三脚なのね。私ってばこっちに標準レンズと28mmしか持ってないので、定跡外れ(...普通は「定石」と書くところなのだろうけれど囲碁知らないので)も甚だしい。しょうがないので、風景写真を撮ることにするのだ(違。雑談しながらSLやまぐち号を待つ。7月限定でC57, C56の重連だそうだ。11時43分長門峡発ということでずいぶん時間があって、そこらへんを散歩したりしながらじりじり待つ。やっぱり途中で降ったりするのだけれど、Nikon New FM2に標準レンズをつけるとちょうど合羽を入れる袋があつらえたようにぴったりかぶせられるので、助かった。
SLを見るのはたぶん城崎電化5年だかでC56 160(って今日も見るんやん...)が12系を引っ張るのを見て以来になるはずだ(...SL丹波ウッディ号ですから...残念!)。
で、そうこうしているうちに通過時刻が近づいてきて人がたくさん集まってくる。なにも田んぼの真ん中の細いあぜ道から撮らんでもええやん...最後に追っかけの方が集結して、ちょっと太い畦道一面にカメラの放列が並んで、SLやまぐち号さまがいらっしゃる。汽笛が鳴る。煙を吐きながらとっとと通過してしまって、私はここで「おき」と鈍行含めて5枚ぐらい撮ったことになるのかな。このあと徳佐の向こうの踏切まで走って、また追いつく。ここでも練習の鈍行含めて2枚撮って、また追っかけて津和野まで。
こんどは、津和野に来るときには普通に観光しに来ようと思ったのでした。駅まで行ってターンテーブル近辺で待ちかまえていると駅員さんがお越しになってフェンスの内側から「オレンジカードいかがですか」と言って営業。ははあ。うまいもんだと感心する。そうしているうちに先にC56が回転台に乗って、けど、あれ。引き込み線に入ったあと石炭を均しているぞ。あれま。しばらくそのままいるので、正面に回って1枚。
暑くてじれてしまったので、次の撮影ポイントへ移動して待ちかまえていたけど、通過直前になって大粒の雨が...うそ...上から合羽の入れ物をかぶせて待って、通過に合わせてシャッターを...押したけど押せなかったね。くそっ。1枚取り損ねた。
ということで敗北感を味わいつつ、6時間ほどかかって、こんどは西瀬戸自動車道経由で帰る。帰ったらそのままばったり。おやすみ〜
ああ、今週1週間はどうしてしまったのだろう。最初から最後までどうしようもなく、どうしようもないまま終わってしまった。なんだか方向感を失ったまま、って感じだなあ。
昼間に突然、「土曜日山口線のSL撮影に行くんですけどどうします」と誘われてついていくことに。ええっ、2時出発!?うっそ。
微妙に早く起きてしまい、ちょっとふらふらながらに仕事。ときどきストレッチしに休憩室に入ったりして、最後まで本調子になれずに1日が終わったのでした。
当日あわてて定例の打ち合わせの資料を作ったが内容の不足を指摘されてしまう。ええ、そうですそうです。
途中抜けだして最後(の予定)のリハビリ。
火曜日。翌日某顧客さまが工場監査にいらっしゃるそうで、その資料を準備していたら終わってしまった。
月曜日?
いい練習になったと思えないのはなぜ。
というわけで、私は朝から近所の妙齢の女性のみなさまと移動して杉良太郎の新歌舞伎座公演へ。
公演中に「拝領妻始末」の舞台評が朝日新聞に載っていたのだけれど、残念ながら見る演目はそちらではなく「清水次郎長」。うう、どうせ最後なら斬られる役を見てみたかった...
などとつらつら考えているうちに新歌舞伎座に着いた(わけはないが)。案内のとおり「若い日の次郎長の苦闘の人生を描く」脚本になっていた。次郎長が清水を出るところから、また清水を追われて「ど肝を抜く壮絶な大立ち廻り!」で保下田の久六を斬って清水に戻ってくるところまで。前半がどうしても伏線を張る展開になるのは仕方ないところだけれど、後半の第二幕は、杉様が見得を切る場面が続くわ、大立ち回りしても息ひとつ切れないわ。すばらしい!
終わって梅田へ移動して、私はそのまま帰りました、ということにしておきます(指定とれなかったのさ)。
そういうわけで帰省なので、駅に切符を取りに行った。なーんだ。面白くないの。連続乗車券といいながら、「伊予西条→伊予西条」なんて切符は出てこなくて、目的地でぱっさり二分されてしまった。
ということで西条から岡山までは特急で移動して、岡山からはずーっと在来線。加古川で30分ほどあったことを考えると、姫路で駅そば食っておけばよかった。最近姫路駅で乗り換えたりしてないから食ってないのだ。
加古川線は電化されてからはじめての乗車になった。加古川から西脇市までは103系ワンマン化改造車2連、西脇市から先は125系の単行。西脇市までの所要時間は多少短縮されたかな、という感じ。自分で車を運転する感覚が、どうしてもあるからなぁ...実際にどれだけ短縮されているかは見てないけど。
西脇市で谷川行きに乗り換えたら大勢の方が乗って来られて、日本へそ公園で下りて行った。あれは一体何だったのだろう。
金曜日、週末の処理で終わる。
今日もいまひとつピンとこないまま、疲れだけをひきずって1日が終わる。あれ?ろくに仕事もしないのになんで疲れるの?
久しぶりに鉄道で帰省するので、大学入試のとき以来になる「連続乗車券」を作ってもらう。「伊予西条→伊予西条」という切符が出てくるのだろうが、なかなか楽しみである。
夜、チャットで「テロとは?戦争とは?」という話になったのだけれど、まじめに書くとちょっと大変なので、あとまわし。
プロ野球はオールスター前の試合をすべて消化。千葉ロッテは最後のカードに3連勝して、どうにか格好がついた。最後の試合、それも終盤にようやく打線がつながって大量得点で締めくくることができた。折り返しで貯金が24もあるなんて、去年と同じチームとは思えない。これで後半戦の追い込みに拍車がかかればよいが...
夕方医者へ行ったところ、「もうほぼ完治といっていいでしょう。状態もいいので、また痛むということもないと思います」だって。やった〜
明日の定例の打ち合わせの資料を作るのに四苦八苦。
千葉ロッテはどうにかこうにか、連敗脱出。オールスターまでぼちぼち行ってくれれば、後半戦の立ち直りに期待してとりあえずよしとしよう。
というかそんな試合をやっている間私は松山へ出かけて、iPodのアクセサリを漁ってきた。iBook欲しいけど...あと半年辛抱しよう。半年も待ったらいろいろわかってくるだろうし。梅雨明けして暑い中4時間かけて歩き回ったけど、あまりピンとくるものがなかった。とはいうものの、結局はBelkinのFMトランスミッタを買う。いつもチューニングに四苦八苦するからなあ。あとは紀伊国屋で「日本人の戦争観」(吉田裕<ゆたか>著、岩波現代文庫)を買って、次の週末に備えることにする。
行き帰りに私としては珍しく丹原まで11号線に出なかったり、重信から11号線を外してみたり。ヤマダ電機とかコジマに寄ろうかと考えてみたけれど、どうせApple関連製品なんて冷遇されているだろうから結局寄らなかった。そんなに遠回りしているわけではないけど...。そういえば、今日は道中のBGMはふきのとうでした。
私の知り合いというか大学の後輩で有銘(ありめ)さんという方がいらっしゃる。あまり聞かない名字で、そういう場合よくあることだけれど、みんなそう遠くない親戚なのだそうだ。
その有銘一族期待の星(というとオーバーだけれど)、有銘兼久投手(楽天)が先発登板することが以前から言われていて注目していた。その有銘投手は、起用の田尾監督の期待に応え、適当に荒れる持ち味を十分に発揮して、9回無失点の成績と好投した。田尾監督も「岩隈に続く先発投手になれる」とコメントするほど。けれど、これまでの成績がよくない。次も先発する機会が約束されたのだから、いい結果を残してくれることを期待しよう。
...とまで言ったものの、オールスター後の対戦って...ありゃ。岩隈の次というのが本当だったら、後半戦2戦目が対日本ハム戦で、そのあと...千葉マリンのロッテ戦やないですか。うう...困ったけど有銘くんのためなら仕方がない。こてんぱんに打ってあげよう。
そう言われるとぐうの音も出ない。森岡政務次官の言うようなことを言うような方々は、歴史に書かれる中央権力や政府が各地の先住民族を追いやってきた歴史をどのように考えるのだろう。征夷大将軍という言葉は、いったいどういう意味を持った言葉なのか。
つまり、それこそ書かれない歴史である。もし、彼らの抵抗が今に続くものであったとするなら、彼らの歴史はどのように書かれるだろうか。おそらく「日本の中央政権は有史以前から侵略を続けてきたが、やがて蝦夷討伐と称して力を入れるようになった。こちら側の将軍誰それはこれをどこそこで迎え撃ったが敗れ、どこそこの地方一帯を失った。占領された地域では日本の中央政権による収奪が続いた。....」といったような内容になるのではないか。そのことを想像すると、冒頭でみた論評は十分に理解できる。
ただ、途中から論点がちょっとずれている。「死者に鞭打つな」という言われ方は、確かに日本ではよく聞くのだけれど、そこは、この問題においては積極的に叩いていいところだと思う。というのは、「死者に鞭打つな」という言葉で、今現に生きている私たちを免罪することになるからだ。
どう考えても、さきの十五年戦争においては「“中国”は日本の正規軍に侵略された」と言って誤りはない。ただ、極端に言えば、その視点からは「誰が侵略した」ということよりは「侵略された」ことのほうが問題なのである。「死者に鞭打つな」という言葉は、その意味では正しい。「侵略したときの責任者は誰それ」と言ってみたところで、侵略されたほうも、侵略したほうもどうしようもない。
確かに、十五年戦争で敗れて以来、私たちの政治権力はよその文化を背景にする人々の住む地域を攻撃した経験はない。ないから、“今現に生きている私たちを免罪する”という言葉の使い方は、ちょっと乱暴かもしれない。しかし、今生きている私たちが「償い」と称して、かつて侵略された各地の人々に対してどんなことをしてみても、他人の財産や命を意味もなく奪ったことを償い切ることは残念ながらできないだろう。一度死んだ人が生き返るわけもない。そのことは日本の側でも、沖縄やヒロシマ・ナガサキをあえて挙げるまでもなく、太平洋の島々で行われた戦闘や、日本各地に行われた空襲や艦砲射撃によって被害を受けた“民間人”もわかっているはずだ。いまさら、原爆投下や空襲や艦砲射撃を命令した責任者である当時のアメリカ合衆国大統領に何を言ってみたところで、私たちの被害を償い切ることはできない。この意味では、侵略する側・される側に関係なく、一般の人々は同じ立場に立つことができるはずだ。そう考えると、私たちにできることは、これ以上「財産や命を意味もなく奪」われる人々を生み出さないよう、権力が暴走しないように監視することしかない。奇異に聞こえるかもしれないが、これはお互いさまなので、“中国”の民衆が政府を監視することについて要求することも可能であるとさえ言える。まあ、そんなことを実際に要求したところで、大きなお世話だが...
そこまで理解できれば、政治家ともあろう者が「私たちは同じことを(“中国”はじめアジア各地に限らず)決して繰り返さない」と言わずに、「侵略したときの責任者は誰それ」だが「死者に鞭打つな」とだけしか言わないことは、「侵略したときの責任者」の考え方を受け入れ、“侵略したことは間違っていない”と言っているのと同じに聞こえるだろう。森岡政務次官の発言においては、それは確信犯的でさえある。
ここまで考えてみると、「これからやらない」ような仕組みをより強固なものにし続けることが問われているのであって、そのことは引用した論評の最後に言われているとおりである。「これまでやらなかった」ことと「これからやらない」ことは別である。ここまで言えば、日本の首相が靖国神社に行くのを「許す」ことにどんな意味があるのか、気づかないほうが鈍感だろう。
これは、誰かの言う「自虐史観」に近いのだろうが、その誰かの言う「死者に鞭打つな」ということにおいては同意できるのだから、決して「自虐的」ではない。昔やったことを反省して教訓にすることは、自虐的な行為ではないはずだ。
金曜日で月の半分が終わるということで、たいへんいい区切りである。ということでめちゃめちゃ忙しいのである。
というのに、夕方すぎに夕食をとることを名目にして、仕事なんかほっといて千葉ロッテ×オリックスの試合を2時間近く見てしまった。夜遅くにならないと実験ができないから、これでいいんだけど。
あの事故以来になるスペースシャトルの打ち上げが予定されていたが、結局中止になった。そうそう。自信がなかったら、もう一生打ち上げなくてもいいから。
JNNニュースバードは打ち上げの中継を予定していたのだけれど、結局いつもの番組になった。そういえば子どもの頃は家具調のテレビで、親子で一生懸命に打ち上げの様子を見つめていたなあ。あのころは、科学って偉大だなぁと、とんでもない錯覚をしていたような気がするなあ。
科学は偉大なのかもしれないけど、実はもっと身近なものであることを考えないと。携帯電話なんてそこらじゅうの人がもう何の気なしに使っているけれど、あの理屈をちゃんと説明しようとすると大変だ。難しいことは知らないけど使えればいいじゃない、という人は多いだろうし、仮に理屈をちゃんと説明できたとしてもぽかーんとするだろう。そんな人は「科学オタク」で、たとえば私が誰かに向かってDRAMの動作原理を説明したところで「それで何?」と言われるだけだろう。そんなことは専門家が知っていればいい、ということなのだ。あなた、いまDRAM使っていませんか?
科学や工学、哲学ぐらいなら、まあそういうこともあるかなあと思う。それは科学者や哲学者のほうはよくわかっているみたいで、何かあれば自分の専門分野についてわかりやすい解説をしてくれている。マスコミがそういう機会をなかなか与えてくれないのが残念だけど。これが政治や経済の方面で無関心ということになると大変だ。で、そうだというのにしょうもない専門用語や隠語を使ってそれらしく語る人がいて専門家ぶっているので、はっきり言って気にくわない。あなたたちだけの政治や経済ではないのだ!
昨日なんだか知らないけど遅くまで起きてしまったので今日はろくに更新もせずに寝ます。
とまで書いて、本当に寝てしまったのです。
週末に聞いた話。西はりま天文台でのディープインパクトの観察は、ちょうど家島小学校の自然学校と重なった。残念ながらディープインパクトの直後の夜には観察できなかったけれど、この日に向けて十分な準備をしていたということだそうだ。
とにかく、彗星に銅のかたまりをぶっつけるという人類が今までまったく見たことのないことを実験するということで、どんなことが起こるのか誰にもわからず、世間的にもいろいろな予想がされていた。そんな中、宿泊当日の担当になっていた森さんはあらかじめ家島小学校に出向いて、ディープインパクトでやろうとしていることとや彗星のなりたちなどを説明して、いったい何が起こるかということを小学生に予想してもらったのだそうだ。
答えもいろいろあって面白かったそうなのだけれど、それよりもむしろ、詳しい説明をする前と後とで多数派の意見がころっと変わったり、ユニークな説を唱える子どもは説明を聞いた後でも自説にこだわったりするというのが興味深かったとのこと。正しい知識を教えることと、自由な発想を認めることのバランスをどんなふうにとるか、なかなか難しいようだ。
で、最後の森さんの一言。
これから先、君たちがいろいろな問題にぶちあたるでしょう。環境問題とか平和に関する問題とか、教科書には答えが載っていない問題に出会うと思います。その時は、今回のように、友達に相談したり、いろいろと調べて、自分で答えを見つける努力をしてもらいたいです。今回は、その練習をしたと思って下さい。
もう、何も付け加えて言うことはありません。
夕方東大阪を発って、西条へ。しまった。岡山からはアンパンマン列車だった。いや、アンパンマン列車が悪いのではなくちょっと座席の幅が狭いのである。うう...
相手をするのは馬鹿馬鹿しいが、いちおう相手をしてあげないと「こっち向けよ!!!」とうるさい人たち。
産経新聞の『論考』なのだそうだ。これを見る限り、“中国”の教科書はきわめて全うである。日本の教科書だと、こう書く。「アメリカ合衆国の中学高校生は、自分たちの国がかつて核爆弾を広島と長崎に落として、一般市民を無差別に殺戮したばかりか、その後も放射能を浴びせ続けることで何十万という人々を死に追い込んだり重篤な後遺症で苦しめたりしていることを知りません。そんなアメリカ合衆国の中学高校生に手紙を書いて、核爆弾の恐ろしさを教え、あなたとあなたの国の平和に対する熱意を伝えましょう」。今のアメリカ合衆国の中学高校生の教育程度からみると、この内容はそんなに外していないだろうと思う。産経新聞の論説陣は、どういう反応を示すのだろうか?
日本で『愛国心』を言う人々が、“中国”で「愛国の情と社会への責任感」を教えてはいけない、というのは、これはどうしたことか。南京事件から愛国心を語ると反日教育になる、ということになるのなら、広島・長崎から愛国心を語ることは、果たしてどういう意味をもつのだろうか。南方戦線や中国戦線から愛国心を語ることと、それはどのように違うのだろうか。果たしてどちらが、「平和に対する熱意」をもつことと関係があるだろうか。
産経新聞の論説陣は、論理が弱いとしか思えない。私自身も論理に弱いという自覚はあるのだけれど、そんな私ですら論理の弱さをつつくことができるというのは、これはいったいどういうことなのだろう。
例会2日目。実は昨日七夕飾りをいろいろと作ったのだけれどそのままにしていて、この日に飾り付けしようということだった。飾り付けはなかなか楽しい。誰のお願いなのか、「勝運到来」はわかりやすい。「晴天率100%」は困る。「例会日は楽しい日でありますように」他の日は?「TOA107」何のこと?
途中ある研究員のお子さまがいらっしゃって、水平に腕をあげて何かを指さそうとする。
「少年よ大志を抱け」のポーズなのだそうだ。
飾り付けが終わったら、あっという間に解散。
私たちはR179〜太子龍野バイパス〜姫路バイパス〜加古川バイパス〜第二神明〜阪神高速神戸線で三宮へ。iPodアクセサリを漁ったり、本屋へ行ったりしたあと、阪神高速湾岸線経由で大阪・日本橋へ移ってでんでんタウンを歩き回って、東大阪の知人宅へ。
朝5時に目覚ましをかけておいて、6時過ぎに出社。まだ実験の前半が終わりきってなくて、結局前半の結果を確かめきれずに出かける。
というところで、いつものように東大阪の知人を拾って西はりま天文台公園友の会例会へ。現地に着いたらもうへろへろで半分寝ているような状態。着いたときにさる研究員の方と学習サークルの話を少々。
そういえば、今日は発泡スチロールをコンクリートブロックのような形に整えたものを用意して下さっていて、これでベッドをかさ上げして、車いすの知人が横になれるように配慮してくださった。本当はもっと予算を投じて利便を図ってもらえるといいのだが、残念ながら今、兵庫県当局にそこまで期待することはできないようだ。
さて例会は天気も悪く、いつものようにアルコールが入って、それなりに交流を深めた、というところ。8月のイベント、どうすればいいのだろうか...
いつもの週末処理。
と思ったが、実験に使う製品が、実験する工程にぎりぎり間に合ってしまったので会社に残らないといけなくなり、結局12時までいてしまった。朝6時出社の予定。
7月7日は七夕、といえばそうなのだけれど、新暦ですから。...うわっ、新暦だって。何それ。
今使っている暦は地球が太陽の周りを一周する長さで決めていて、これがだいたい365.2...日ぐらい。これがなんで便利なのかというと、このやりかただと季節感を狂わせることがないからいい、ということ。難しいことは抜きにして、季節は地球が太陽の周りを回ることで生まれる、と思えばいい。余計な話だが、これが大自然の偉大なところである。ほんのちょっとした、太陽と地球のいたずらで、わたしたちは四季の移ろいを目にし、耳で聞き、肌で感じられるのである。それで、特に日本みたいに季節のはっきりした、緯度が30度から40度あたりの地方にとっては、今の暦は都合がいい。
で、新暦というからには旧暦があるのだ。あくまでおおざっぱに言うと旧暦っていうのは月の満ち欠けを基準に暦を作っている。これは何に都合がいいかというと、月をみればその日がだいたい何日かわかる、ということだ。地球が太陽の周りを回るのは365日もあるから覚えていられないのだけれど、ひと月ならまあ、長くても30日ぐらいなので区切りとしては悪くないだろう。ついでにいうと、それを5等分すれば六曜なわけで、これまた覚える目安には十分だ。
またまた本筋を外れるのだけれど、旧暦の月日と六曜は一対一に対応している。今の暦のように、例えば今年の7月7日は木曜日で、来年の7月7日は金曜日、なんてことはない。月日をいえば、六曜は必ず同じだ。旧暦8月15日のいわゆる十五夜は、必ず仏滅に当たる。つまり毎日の六曜は旧暦から計算している、ということになる。
というところで本筋に戻ろう。実は、新月から新月までは29.5日ぐらい。1年を12ヶ月だと思うと354日になる。すると1年に11.2...日ぐらい、季節がズレてしまう。これは、さっきいったとおり太陽と地球の場所で季節が決まってしまうからで、月が地球の周りを回ることとは関係ないからだ。1年に11日ぐらいだから、だいたい3年で1ヶ月ぐらい、季節が狂ってくる。3年前は6月が梅雨でじめじめしていて7月がくそ暑かったのに、今年は7月は梅雨でじめじめしていて、8月になってやっと暑くなった、といったような感じだ。これは大変なことで、同じ4月に田植えをしていくと10年もすると真冬のくそ寒い時期に田植えしないといけなくなってしまう。そんなアホな。そんなことしないように、3年に1回閏年ならぬ閏月を入れるのだそうだ。さっき3年で1ヶ月ぐらい季節が狂うということがわかったのだから、季節を合わせるために、3年ごとにひと月、余計に入れるのである。
実はここまでが前段。で、何が言いたいかというとその『閏月』、いったい何年の何月に入るのか、素人にはさっぱりわからないのである。もちろんちゃちゃっと計算すれば出てくるのだけれど、その規則たるや、もう頭痛がして途中で読むのをやめるほど。
そんなことをつらつらと考えていたが、そうか。考え方としては難しくないのか。二十四節気というのは季節から出てきたのだった。ひと月を月の満ち欠けに合わせて作り、二十四節気で太陽と地球の居場所に合わせれば、まあ多少はゆらぐけれど季節感が狂うということはまずまず避けられるわけで、そう思うとうまいこと考えついたのだものだなあ、と昔の人の考え方に感心してしまう。
で、ここまで長々と書いたのだけれどここからが本当の本筋で、そもそもはそんな旧暦で決めてきた七夕を梅雨真っ最中にやるな、というのが、本当に言いたかったことなのであったのだよ。だけどここからはあっちこっちでもうさんざん議論されているだろうから、もう議論しない。
...って、しなかったら書くなよ...
定例の打ち合わせの準備にひいひい。
千葉ロッテはどうにか、ひさびさに同一カード3連戦に勝ち越し。打線のつながりがなくなり、適時打が生まれにくくなってしまっている。まあ、これまでみんな調子よかったので、調子が悪くなるときもいっぺんに来るのかもしれない。まあ、しばらく我慢我慢。ソフトバンクは相変わらず走っているけれど、これだっていつまでもいつまでも続くわけでもないだろうし。
そうそう、そういえば昨日、JNNニュースバード「ニュースの視点」に釘付けになってしまったのだった。"Little Birds"という映画をとりあげていたのだが、これ、123時間のフィルムを102分に凝縮(といえば聞こえはいいが要するに編集)したものなのだそうだ。もちろん、厳密に言えば映像に切り取った時点で、また、映像を編集した時点で、事実をそのまま伝えることを放棄しているといえばいえるわけだが(そういう意味では、事実というものは切り取り方によっていろいろに見えるわけだが)、映像は基本的には脚色抜きというのが、なかなか鋭い。イラク戦争の期間はずっと、アメリカ合衆国政府側の発表する場面の映像しか見ることができなかった。イラクの人々に混じって取材したらこうなった、という意味で非常に重要なものとなるだろう。
人は時として簡単に「どこそことは戦争も辞さない」とか「あの戦争は間違っていない」などと言ってしまうが、戦争では、誰が犠牲になるのか。日本人一般に「平和ボケ」になったと言われて久しい。戦争で身近な人が被害に遭うということになかなか実感がわかないことが、こんな雰囲気を生んでしまうのだろうか。だったら、一回戦争で殺されてみますか。
書こうと思っていてなかなか書けなかったことなのだけれど、「太平洋戦争 日本の敗因1 『日米開戦 勝算なし』」(NHK取材班編、角川文庫)からひいてみる。
...作家の司馬遼太郎さんが話しておられた「自己リアリズムの喪失」という言葉である。
つまり、明治維新の指導者たちは自分たちが一から作り上げた国だけに「日本の実力の限界」を正確に認識していた。日露戦争の講和は、日本の国力の限界を見定めた適切な判断であった。しかし、昭和初期から太平洋戦争にいたる時代を事実上支配したエリート官僚・軍人たちは、その認識を欠いていた。そんな官僚・軍人たちが愛国者ぶって、国といういちばん大事なものを、まるで博打場のカケにするようなやり方で戦争にかりたてたのが、昭和初期から太平洋戦争にかけての時代であったという。...
どうだろうか。どうも、「終戦」後、私が生きている時代と奇妙に一致するような気がする。もちろん、今は軍人はいちおういないことになっているし、官僚も政治家に骨抜きにされはじめたから、官僚と軍人、ということはないけれど、どうも日本という国がまた同じような道に進みそうな気がしてならない。杞憂で終わればよいし、杞憂に終わらせなければいけないのだろうけど。
あいかわらず、仕事でじたばた。
小泉政権はしょーもないところで自分の勢いをすりつぶしてしまっている。人々にはもうどうしようもなく関心のないことに固執し、声高に処分を叫んだものの、結局は抑えきれず、予告したような処分もできないマヌケさ。いつもの立ち話会見も、いつにもまして仏頂面。以前に予告したとおり、突っ走るところまで突っ走ってしまったようだ。
そして、これが小泉政権の「終わりの始まり」であるとともに、自民党の「終わりの始まり」となるであろうことも推測される。自民党をぶっ壊すなどと言っていた小泉総裁は、別の形で自民党をつぶしてしまいそうだ。
今日はディープインパクトの日で、見事に衝突に成功した。どこででも詳しい解説が見られるだろうからあまり書かないが、日本は天気が悪く、地上から詳しい観測ができなかったことが残念だ。
千葉ロッテは大塚明の勝ち越し打で連敗脱出。ふう。
きのう誕生日の加藤康介投手が完全試合を達成。ちょっと前から絶好調だったのは知っているので、そろそろ一軍に上げてほしいと思ってはいるのだが...
今日は朝から大雨で中予南予に大雨洪水警報が発令されるわ、朝から松山の向こうの松前町で水が出るわということで予定の松山行きを取りやめて、昼過ぎから今治のヤマダ電機へ。
う...いちおうiMac/iBookデモ展示していることになっているのでちょっと期待して行ったのだけれど、そんなもんどこにあるんや、という状態。iPodは例によって置いてあったけれど、そこまで。鉄道模型とかをちらちらっと眺めて、そのまますごすごと隣のコープえひめへ行って、適当に買い物して帰ってくる。松山に行ったら服でも買ってこようかと思っていたのだけれど、ずっと雨が降り続いていたので、今治からとはいえ早めに切り上げる。来週はまた西はりまへ出撃だし、忙しいなぁ...
帰ってきてからは、夏なのに熱ーいお茶を飲んで汗かく。外で体を動かせないからなぁ...
やった、今日も雨になった。まさに恵みの雨。四国山地にも十分な雨が降って、各地の取水制限も緩和された。...と思ったら降りすぎて香川県では洪水になってしまった。
そんななか私は2時間ほど出社して、昨日の飲み会で仕事を切り上げた分ぐらいの仕事、と思ったら電話がかかってきてちょっと面倒なことになってしまい、滞在時間が予定の倍になってしまった。ふう。
どうにか仕事を片づけて、ケーズデンキ東予パワフル館へ。さすがにiPodとアクセサリーはそれなりに置いてあったので(Mac置いてないけど)、シリコーンカバーを買って帰ってきた。とはいえDockとかはないので、当初の予定通り明日は松山方面に出かけるつもり。
ちょ〜久しぶりの週刊社説レビュー。2日付読売。労働市場の開放などと言っているが、要するに安い外国人を大量に雇ってしまおう、というところだろう。今、政府はほんとうに“わかりやすく”大企業の側についている。たしかに、日本の人口構成を考えれば労働力が足りなくなるのは目に見えているから外国人を、ということなのだろうが、いま失業率はどれぐらいあるのか。失業者は必ずしもゼイタクな望みばかり言っているわけではない。『経営体質の改善』などといった一見きれいそうな言葉の裏に、人件費を切り捨て、賃金カットや首切りを行ってきたのである。
という文脈で外国人労働者の大量受け入れを考えてみればどうだろうか。国内の失業率と賃金水準はどうなるのだろう。いや、外国人労働者が増えることそのことを云々しているわけではない。むしろ外国人が様々な職種に従事することは、決して悪いことではない。長いこと「単一民族」だと錯覚させられている人々が多いことを考えれば、外国人が増えれば見方も変わることが期待できる。しかし、現状の日本企業の向かっていく先を考えれば、いま外国人労働者の受け入れを増やしてしまうことは必ずしも人々の幸福にはつながらないだろう。企業の幸福にはつながるかもしれないけど...
クボタ旧神崎工場のアスベスト禍が話題となっている。1日神戸。公害病並みの被害が予想されるけれど、まさに「真綿で首を絞める」という感じで病状が進行するので、実態がはっきりしない状態がしばらく続くだろう。私自身もどれだけ吸い込んだのかまったくわからない。まさに「国の対応が後手後手で、縦割りになっていることを、まずは反省すべきだ。その上で、被害の防止や公害病の認定も含めた総合対策を、早急に提示してもらいたい。」ということだ。
同じく1日付読売。関係企業に情報開示を求めているが、これはクボタが例外中の例外で、告発を受けようとしていたから先手を打ったまでであることを見落としている。さきの神戸の主張するとおり、まだマシな国にそのへんを締めさせたほうがよいだろう。
このところずうーっと雨がなく、西条でも自噴水が噴き出さないというとんでもないことが起こっていたが、夕方から突如として一天にわかにかき曇り(うわっ、こんな言葉しゃべれるの30代でもごく少数やぞ)、雷(いかずち)とともに大風と大粒の雨をもたらした。
しかし、西条での降雨量とておそらく30mm程度だっただろう。残念ながら、たかが知れている。明日あたりもう少し降ってくれないと、まだしばらくは戻ってこないだろう。
しかしかかしおかし、かくいう私はちょうど飲み会で退社予定の時間だったのである。そらもう大変。雨風の強い中をとにかく門まで走って、なんとか車に転がり込んだという感じ。そのあとはこないだ結婚した後輩を囲んで(新妻の方は、私が西条に転勤する前は職場が同じで近い部署ということで、3年ぶりぐらいにお会いすることになった)ビアホールで飲み会となった。濡れてきたわ冷房効き過ぎるわで、寒いこと。で、これに懲りて今日は1次会で切り上げ。