tMadの記録・2005年5月分


5/31 Tue.

きのうリハビリに行ってもんでもらった首が、朝になったら凝っている。効いている証拠だからしかたがないね。

今日のピタゴラスイッチは象形文字の成り立ちを扱っていた。いつものように、ピタとゴラは百科おじさんの文字が読めないのでテレビのジョンを呼んでいろんな象形文字を紹介していたが、途中でテレビのジョンが画面に「目」という漢字を表示させたまま映った画面があって、なかなか見慣れない光景で面白かった。

梅雨が近くなり始めるとよく起こる、いわゆる「Eスポ」と呼ばれる現象のせいで映りが悪くなってしまっていて、ここでお見せできないのが残念ですが。

...っちゅうか、それ以前にこのサイト、そういうサイトと違うやん。


5/20 Mon.

よほどに首が疲れていたらしく、リハビリで首をもんでもらった。刺激を弱めにしてもらったので、あまり効いてないかな~と思ったが、12分ももんでもらうとやはり違う。


5/29 Sun.

読売29日付産経25日付。社会的には運転手を罰することで事足りるかもしれない。しかし最後には個人の意識に任せるのでは、今後も被害者はなくならない。この点をどう解決しようというのか。また、被害者の権利を声高に叫んでないことも、最近の読売や産経の論調と必ずしも一致しない。読売産経ともに指摘するように、事故の起こった経緯を考えれば、危険運転致死罪が適用されてもおかしくないケースである。もしそうなれば、これは犯罪行為であるということになる。

ならば、ここは交通事故被害者であり犯罪被害者となりうるところの被害者の権利を主張してもいいところではないか。

にもかかわらず、被害者の権利を言わないのはなぜだろうか。答えは難しくない。交通事故被害者は、自動車が歩行者に対しては絶対的な凶器となることを指摘するに決まっているからである。あるいは、今回については、いわゆる「カンガルーよけ」の装備の妥当性を突いてくるはずだ。残念ながら、これは日本の事情からいって山から鹿や猪が出てくることでもなければ必要のない装備であり、しかも歩行者にとっては凶器としての性格しか持たない。

結局、それを指摘した場合不利益を被るのは誰だろうか。

自動車が売れれば、私自身を含めて利益を得る人々は多い。しかしその裏で、毎年日本だけでも何千人という人々が交通事故の犠牲となっている。他人の命を奪うということはなかったけれど、私自身も加害者となってしまった。自動車による加害事故によって、これまでにどれだけの人たちが不幸になったのだろう。この点を踏まえて自動車づくりをすることは、たしかに目先において自動車メーカーには不利益になるだろう。しかし「人智によって人々を不幸にしない」という観点からいえば、そちらのほうが社会全体にとって利益となるはずだ。


5/28 Sat.

日本政府の場合、乗り換えたOSが狙われるような気がするのですが...。Macには乗り換えないでください。まず乗り換えないだろうけど。

檜良太郎とおっしゃるのだそうです。やりすぎです。わたし、コープえひめの組合員ですが、勘弁してください。

...などというアホなことばっかり言うとらんと。ぜんぜん別の調べものをしていたところお勉強しましょうというサイトで宮城の交通事故などについて気になる記述をしていらっしゃったので、コメントしておきました。

5/27 Fri.

今日は代休であったが、午前中に健康診断を受けるために出社。そのあと寝たりなんかしてだらだら。


5/26 Thu.

明日は代休ということで、遅くまで残って必死に仕事したら25時前。千葉ロッテに巨人が3タテを見舞ったので大満足。あと一つ勝ったら、ダメ押しをお見舞いしてあげます。


5/25 Wed.

給料日でしたが、明細を見てませんでした。

ちゅうかね、ガス欠でね。9時すぎにへろへろで帰宅。


5/24 Tue.

どうも、土曜日にたいへん残念な出来事があったようだ。

いろいろなサイトを見て、最低限確認できそうなことを並べてみると、

といったようなものであったらしい。中日は交流戦に入って以降調子が悪く、今日は楽天にまで苦杯をなめたほどであるから、応援団も憤懣やる方ないというところで、しかも相手が去年まで弱小で今年『調子こいとる』「急に注目されはじめた」が“所詮パシフィックリーグの”千葉ロッテ、さらに「12球団一行儀がいい」ことになっている応援団とあれば、欲求不満のはけ口としてしたいようにしてやろうと考えるのも不自然ではないだろう。

中華人民共和国政府の、誰のでもいいから爪の垢でも煎じて飲んだらどうだろうか。

なるほど、千葉ロッテを応援するファンの側にまったく落ち度がなかったかといえば、それは確かめようがない。しかし、あからさまにどっちがどっちに乗り込んでいって秩序を乱したかということははっきりしている。野球ファンとして、というより以前に、人間として恥ずかしい行為だ。こんなことを外交問題、政治の問題に結びつけるつもりは全くなかったが、いまおおかたの日本人が中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国にもっている感情に通じるものがあるような気がしてならない。これらはすべて、野球がどうとか、政治がどうとかいう個別の問題ではなく、人間としてどうあるか、という意味で共通の問題である。

中華人民共和国の人々が何を欲しているのかを正しく知ろうともしないで、あるいは確かめようともしないで、どうやってよりを戻そうというのか。そのことは、この問題を通じて千葉ロッテファンも主張することができるだろう。「バチを奪って捨てた」ということが問題なのではない。いや、問題ではあるのだが、それがどういう意味をもつかということのほうが問題である。「バチを奪って捨てた」らいけなくて、「ラッパをぼこぼこにつぶした」のなら許される、ということでは当然ない。そんなことは子どもでもわかるだろう。では、千葉ロッテファンは何を欲しているのだろうか。

一言でいえば「放っといてくれ」ということ。より正確に言えば「いつもの応援をさせてくれ」ということである。屈辱的な事件ではあったが、にもかかわらず当日・翌日とも千葉ロッテ側からは中日応援団やファンに対してあえて秩序を乱そうとしたり組織的な応援行為をつぶそうとしたりする行為がついになされなかったことが、それを裏付けている。それは中華人民共和国政府が日本政府や日本の人々に対してとっている態度と、底辺でつながっている。であれば、中日のファンが千葉ロッテファンに対してとる適当な行動はどういうものかを考えることは、われわれ日本人ひとりひとりが中華人民共和国の政府や人々に対してとる適当な行動がどういうものかを考えることと本質的には同じである、といってよい。中華人民共和国の人々が「放っといてくれ」という内容の言葉を発するとき、それは単に放置する、という意味ではなく、「自分たちが自分たちの範疇でやりたいことをやることについて、放っておいてくれることを保障してくれ」ということなのである。さきに述べたように、靖国神社に参ることは明治新政府の論理と同じ論理に立つことを表明することである。明治新政府の論理は、かつて朝鮮半島をわがものとし、いま中華人民共和国となっている地域を侵略した論理である。これを今度の事件に置き換えて考えれば、「いつもの応援をさせてくれ」と主張する千葉ロッテファンに向かって、「バチを奪った彼の行為は間違っていない」と中日ファンが主張するようなものである。まったく、馬鹿げたことである。

いみじくも、今回の2つの事件は象徴的なものであった。


5/23 Mon.

いつも少し遅れて着く『週刊金曜日』。「大藤理子の政治時評」を読んでいて胸が痛い。まさに私は「事故現場に献花に訪れ、マスコミの前で涙を流す『第三者』」なのであった。JR西日本の職員に頭を下げさせた私は、なんと不遜な存在なのだろうか。日本人が好きらしい潔癖さからいけば、私がどんなことを思っていたかに関係なく、「ただ単に野次馬しに行っただけやろ」と言われてもおかしくない。

ただ、言い訳をしても許されるとすれば、「脱線事故はどこか自分の知らないところで起こった、自分には無関係の出来事だ」として放置することができなかった、ということ以外にない。たしかに、そこにJRの職員が詰めていることも、記者がいることも知っていたから、行けばJRの職員に頭を下げさせることになるし、記者に取材を受ける可能性もあることは考えていた。以前に、いや、人生の大半を沿線住民として過ごし、それなりに利用していたからといっても所詮は第三者なのだから、軽々しくそんなところへ行くのはよくなかったかもしれない。ただ、記者がいなくなるまで献花台は撤去できないだろうし、そうなると撤去するとすれば開通準備ぎりぎりになるだろう。そしてもう一度開通してしまえば、おそらく私にとっては、現場は(そこを通っているにもかかわらず)車窓にとけ込んだ風景のほんの一部になってしまう。現場を通過するのにかかる時間は、たぶん何秒とないはずだ。

しかし、そんなことを言っている片方で、今のところ、私にはあのときの行動は後ろめたさを覚えるものでしかないようだ。あのとき頭をめぐったいろいろな思いや考えは、まだ整理がついていない。あのときの思いをきっちり消化しなければ、上のような言い訳はその上に「見苦しい」をつけるだけのものにすぎなくなってしまうだろう。そこへたどり着くまでには、もう少し時間がかかりそうだけれど...

なっちゃーん、来るんやったら言うてくれ~...って言わんわな。そんな高い場所から野球見下ろさんといてくれ~。

なかなか首の痛みがとれないので、休みを利用して近所の整形外科に行ってレントゲン写真を撮ったところ「首ひん曲がってますなあ」という診断。はあ...しばらくリハビリに通うことにしよう。しかしそうしようとすると定時退社かつダッシュせんといかんので、大変だ...


5/22 Sun.

ゴールデンウィークの最中に出社した代休を明日とるので、私にとっては3連休の真ん中。きのう試合前に電話を受けていたのでその処置をしに出社したあと、天気が悪いのと眠かったのとで、千葉ロッテが大量得点をする中、2時まえごろから4時まえまで寝ていた。

夕方、レーダーで雨雲の影が見えなくなったのと雨がやんだように見えたのとで、軽く洗車する。黄砂が気になっていたので、ちょっとだけきれいになったかな。

夜9時になってもまだ頭がすっきりしないので、少し発泡酒を飲んでみる。


5/21 Sat.

昼間はアクセラの1ヶ月点検に行って問題なし。で、点検に出す車中で石原千宝美さんの「NATURAL BREEZE」を聞いていると「太陽石油は四国アイランドリーグを応援しています」というので、松山で試合があるのを思い出した。一旦帰ってから、明日の天気予報があまりよくないのを確認して愛媛対香川の2回戦を観戦するために松山へ。あえて全く予備知識を入れずに見に行った(予告先発をチェックすることすら忘れていたが、チェックしたところで誰が誰だか...)。

去年の近鉄×ロッテは駐車場有料だったから、今日も予讃線のダイヤをチェックしておいた。それでもいちおう、念のために松山中央公園まで車で行ってみたら、今日はタダで入れるようだ。直接乗り込んだ甲斐があったというものだ。そのへんの駐車場に停めておこう。今日は外野席で集団で応援するために来たわけではなく野球を楽しみに来たのだから、ネット裏から入ろう。チケット売り場を探して(去年は外野席に入ったから、内野席の売り場を知らなかった)、全席自由で1000円のチケットを買って列に並ぶ。あれれ、今日は太陽石油シリーズのはずなのにチケットはコカコーラ杯になっているぞ。シーズン成績でコカコーラ杯を争うということなのだろうか。よくわからん。しばらくぼけーっと並んでいると「今日の入り口はネット裏のみです」だって(つまり外野席は開放しないということ)。そして開門。私はいつもチケットを切ってくれる方には「ごくろうさまです」と言うようにしているのだけれど、声をかけたらぎょっとして見返してきた。知り合いかと思ったのだろう。そんなことをするのは四国では私ぐらいなのか。これも土地柄か...

そして速攻でホームベース真後ろの3列目を確保。シートノックをやっていたが、終わった後選手たちがトンボをかついで出てきて、地ならしを始めた。こういうところが、プロ野球と違う。

試合開始に先立って愛媛の西山選手がホームベースあたりまで出てきて、一体何が始まるのかと思ったら、君が代斉唱。「本日はすばらしいシンガーをお呼びしました」に苦笑。

始球式は小学生が投げて、試合開始。先発投手は愛媛・浦川と香川・新井。浦川投手には最速144km/hを計時する直球と、100km/hを割るカーブ、あとはスライダーとフォークがあるようだ。1回いきなり四球で出塁を許し、二死2塁とされて適時打を浴びて先制される。そのあとはピンチを何度かしのいだが、6回に四死球から満塁となったのをきっかけに崩れて、この回3失点、都合4失点で降板。新井投手はやや横から手が出てくるタイプの投手で、130km/h台の直球とスライダーを持っているようだ。シンカーもあるのかな?こちらは無難な立ち上がりで、5回まで投げて2失点とまずまず。

5回終了後選手も出てグラウンド整備をする中、ビレッジ=ピープルの「YMCA」を流していたが、突然全員トンボを放置するので何するのかと思ったら、例の「YMCA」の振りを始めた。こら!おまえらほとんど仏教徒やろ!うーん、仏教青年会は知名度低いか...

さらにそのあと抽選会。太陽石油のキャンペーンと同じ景品らしいが、私は別に抽選会に来たわけではなく野球を見に来たのでほとんど放置(苦笑)。案の定当たらず。

試合は6回に逆転された愛媛が7回に犠飛で1点とって、8回にもチャンスをつかんで抑えの松尾投手を引きずり出した(このピッチャー、直球は145km/hぐらい計時してました。速い!)が逆転。9回は小山内投手がきっちり1イニングを抑えて逃げ切り。愛媛はやっと4勝目をあげた。

さすがに、リーグの成否が観客をどれだけリピーターにできるかにかかっていることもあって試合終了後はスタンドの裏に選手がたくさん出てきていた。「今日のヒーローサイン会場」まで設けられていて、サインしたり握手してもらえたりするらしい。選手はゲートにもいて握手をしたり何か渡したりしていたようだ(私はそのまま通ってしまったけど)。

試合を見てて面白かったのは、ウェイティングサークルに入った打者の素振りの音が聞こえること。当然、ボールがバットに当たる音もよく聞こえる。聞こえすぎて打球の勢いとのギャップがあるほどだった。野球を見るのは面白そうだ。

ただ、プロのパフォーマンスを見慣れていて目が肥えてしまっているので、打球の処理が甘いとかバッテリーエラーが多いとか、併殺とれないとか、どうしても目についてしまう。また打者が非力なのか投手がいいのかよくわからないが、打球に鋭さがみられない。もちろん、これができていればプロに入れるんだし、そもそもリーグ1年目でそんなことを要求するのもまだ早いだろう。見る方の立場からいえば、今後のレベル向上に期待したい。入る方にしてみればあまり敷居が高くなってもどうかと思うけど...

あと、応援するほうといえば、マリーンズサポーターの私には不満だらけ。ラッパを吹く場面が少なかったのはまだいいが、手拍子でなくぼこぼこメガホンを叩いてうるさいし、テンポも少し遅い。選手はもう知らない世代だろうに「タッチ」を吹いてみたり。芸風は広島の応援に近そうだけど、どうも...


5/20 Fri.

この人に見覚えのある人いますか?

顔面気功のウェイニーさんです。今週1週間、顔面体操のコーナーに出てました。


5/19 Thu.

今日も昼からほぼずーっと会議。あれ。今週ずーっと会議しとるやん。仕事がはかどらないのも道理だ。


5/18 Wed.

朝っぱらから

♪だけど~心なんて~

と歌う人を見かけた。ご存じの通り六本木心中ですけど、歌っていたのはアン・ルイスさんではありませんでした。

昨日は月例、今日は毎週定例の打ち合わせがあって、ひいひい言いながら会議に出て、あっぷあっぷで仕事。終わったらへろへろ。


5/17 Tue.

月例の打ち合わせを終わって、疲れが残る。


5/16 Mon.

代休のはずが、夕方に西条に帰り着いてから火曜日の会議の資料を作っていたりして。


5/15 Sun.

例会が終わったあと、知人を送って東大阪へ。

知人の発案で、福知山線の脱線現場に献花しに行く。中国道を宝塚ICで下りて尼宝線から産業道路を走ってちょっと入ったら、そこに停車中の北近畿がいる。脱線現場寸前で停車したと伝えられている、あの特急電車だ。路上には車が並んで停まっている。みんな献花に行くのだろう。子どもの頃から福知山線にはずっと乗っていたから、このあたりの車窓風景もよく覚えている。車いすの知人を降ろすのには場所を選ぶので、いい場所を探して走っているあいだに、昔は尼崎へは東海道本線をまたがずに地上から進入していたことを思い出したり、その線路跡にさしかかったり。自分があの車両に乗っていたらと思ったりしてやや凍りつく。

ようやくスーパーを見つけて、駐車場に車を停めて花を買って、徒歩で移動。しばらく歩いて現場が近づくにつれて、先のほうの踏切に人だかりが見えてきた。あのあたりが献花台なのだろう。するとその右に見えているのは、あのマンションだ。私たちのそばを、花を持った人が通っていく。ああ、やはりここはそういう現場なのだ。踏切の人だかりが近づいてきた。どうやらJRの職員が並んでいて、献花しに来た人が記者の取材を受けているらしい。本当なら電車が走っていく踏切のところに20人ぐらいの人がいて、みんな暗い表情をしている。異様としかいいようがない。とにかく日常的な光景ではない。

頭の中では、私は207系に乗って、転勤前に住んでいた伊丹から大阪方面に向かっている。乗った電車が脱線する。その先が想像できない。想像できないことが起こったのだ。

私はそんな現場に、赤の他人として行こうとしている。それって野次馬じゃないのか。そこへ行くことが、それ自体が正しいのか。私がそこへ行く意味は、いったい何なのか。異様な光景にひるんでしまう。でも歩を進めるうちに、その光景が目の前に迫ってくる。もう逃げられない。

献花台にお花をあげて、焼香してそそくさと立ち去る。そばでJRの職員と思われる方が私に頭を下げている。私は事故にはぜんぜん関係ないのに、そんな私にも沈痛な面持ちで頭を下げている。ああ、ここにいる人たちが事故を起こしたわけではないのに、なぜ私に、ただの野次馬同然の私に頭を下げるのだろう。この場から早く立ち去りたい。神戸新聞の腕章をつけた方が献花を終わった私に取材しようとする。そりゃそうだ。車いすの人を連れてきたのだから、よほど何か事情があると思ったに違いないのだ。現場で誘導している方が途中で遮らなかったら、本当に動揺したまま受け答えしないといけなかっただろう。

帰りにやっと少しだけ余裕ができて、マンションの1階部分を見ることができた。電車がぶつかったと思われるあたりは、ブルーシートで覆われていた。見せられないのだ。

日本スピンドル製造のそばを歩く。このときは知らなかったが、この会社は事故直後に従業員を救助に回したのだそうだ。そのためにショックを受けていまだに出社できない方もいらっしゃるという。

少し離れた高架下まで歩くと、そこにその脱線した電車の一部と、後続の117系快速がいた。脱線した電車の窓とランプの部分が割れている。より正確には、割られている。事故を腹立たしく思う人が割ったのだろう。JR職員に向かって嫌がらせをする人たちと同じような行動なのだろう。脱線した電車を運転していた運転士だって、悪い人ではなかっただろう。JRの社員に悪い人が一人もいないとは言わないし言えないけれど、それは一般にいる程度にいるに過ぎないと思う。問題なのはそういう人たちをしてあの電車を脱線させた仕組みと、その仕組みを作り上げて頂点にいる経営陣ではないのか。窓を割ったりランプを割ったりする人たちも普段は善良な市民なのだろうけれど、そういう市民をしてそのような行動に駆り立てるものは何なのだろう。

そんなことを思いながら、でもその場ではいろんな思いが交錯したまま、脱線現場から立ち去ることになった。

そのあと知人宅泊。


5/14 Sat.

西はりま天文台公園友の会の例会で佐用へ。今日は...坂元さんおめでとうございます。今晩は月と木星を2mで覗いたあと、昨日と移動の疲れが出てほとんど寝っぱなし。


5/13 Fri.

午前中に健康診断を受けようとして朝食を抜いて出社したが、トラブル続出して午前中は会議で埋まる。ガス欠で昼までぼろぼろで、さらに昼からもそこらじゅうから問い合わせやらなにやらがあって自分の仕事ができない。明日は西はりまの例会ということで、月曜日を休むし土日とも西条にいないということで、おおがかりな週末処理をしたかったのだけれど、夕方になるまでガス欠状態はずーっと続くし、とっかえひっかえでたくさん私のところにいらっしゃるので、ぼろぼろ。

そのあと一生懸命に仕事して、どうやら日付の変わるころに帰る。


5/12 Thu.

うーん。忙しいのです。


5/11 Wed.

命の値段に差をつける人々。見殺しに荷担したくせに...

こちらも命の値段に差をつける。同じモノサシに逆の目盛りが振ってあるとしか、いいようがない。つまりさきにあげたほうは、勝手に行って米軍の占領政策の足を引っ張っている人は知らん、というスタンスであって、あとのほうは、米軍の占領政策に荷担している人は命の保障のしようがない、というスタンスである。どっちの価値観がより本質的に人殺しかと考えると、困惑するしかないのだけれど...

どこかのテレビ番組で対ドイツ戦勝60周年の記念行事をとりあげていて、ホロコーストの記念館をベルリンに建てたという話が出ていたが、日本で、まあ南京事件とはいわないけれど731部隊ででも恒久的に展示するような博物館のようなものは建たないだろうなあ、と思う。そこらへんが、ドイツの人々のメンタリティーと違うのだろうね。


5/10 Tue.

水曜日の定例ミーティングの資料作りが忙しくて、たいへんだった。うーん。


5/9 Mon.

今日は、間違って日付を10日って書くことしきり。いったい何やってるんだか。

不勉強もいいところ。靖国神社の歴史を振り返ってみようか?有名なところでは、白虎隊のいきさつ以下会津藩士(それから、当然のことながら当時幕府方として薩長軍と戦った諸藩の戦死者)は靖国神社の本殿には祀られていない。西郷南洲など明治新政府に反旗を翻して戦死した士族もそうだ。これは別に難しい話ではなく、単に「明治新政府」が選り好みして、政府に楯突いた人々を神として扱わないといえば説明がつく。だから、特に東北地方や九州地方あたりの人々には、必ずしも靖国神社にいい感情をもっていないだろうし、そのあたりの地方の人でそれを知らない人々でも、そのことを聞いたら、いい感情をもつことはできないだろう。

そうそう、「明治新政府」が選り好みしたと考えられる状況証拠としては、こういうのがある。禁門の変の長州方は明らかに「朝敵」であったにもかかわらず本殿に祀られているのだ。靖国神社の本質は、こうして明らかになった。天皇陛下の忠臣などではないのだ。そんなところへ首相が参拝しに行くというのは、天皇陛下に名を借りて権力を奪い取った人々の価値観を無批判に受け継ぐことになるし、「人々を不幸にしてでも自分たちの利益を追求する」方向に国を動かすことにつながると考えることのほうが普通ではないか。

それでも行くというのなら、ただ呆然とお参りに行かないで、涙をこぼして「あなた方のご遺族にはご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。このような悲惨なできごとは、二度と繰り返しません。」と言って、“英霊”に向かって謝るぐらいの姿勢がほしい。仮に靖国神社に参拝したとしても、せめてそうすることが、「明治新政府」の価値観から抜けだすことにつながるであろう。そしてまたそれによって、アジア諸国に対しても多少の理解を得ることができるかもしれない。権力をもつ者は、自分が権力をもたない者に支えられていることを常に忘れないことだ。


5/8 Sun.

朝からどうもすっきりしなくて、ロッテの大量得点を見ながら寝てしまいました。疲れがとりきれないようです。

JR西日本の職場の雰囲気は、かほどにすさまじいようだ


5/7 Sat.

やっと時間がとれたので、朝から洗車。いちおうコーティングしてもらっていたので、水洗いしてリンスしておわり。1時間もかかりませんでした。クロスは真っ黒になりましたけどね。

「反日デモ」に対する人民日報への投書。主旨は賛成。細かく見ると暴力を肯定するともとられかねない記述があったりして穴や抜けなども少なくないけれど、あのデモから発せられたメッセージの受け止め方としては、決して間違っていない。

脱線事故とそれに続くごたごた。目先の業績にとらわれると、足下をすくわれる好例にされてしまった。この日記(のようなもの)でも何度も書いているが、利益をあげるのはいいがそれをどのように使うか、ということをいまさらまた書かないといけない。

各紙論説。産経7日付。今回の事件とそれに続く処理については、会社の姿勢を問うというよりも個人の責任に帰する論調である。プロ意識とはどういうものか。定時運行を守ることはプロ意識の表れではないのか。それぞれの職業においてプロ意識というものは違うのだろうが、たとえば、産経新聞の論説陣におけるプロ意識とは何であるのか。プロ意識は会社に入ってから目覚めるわけであるから、会社の労働環境、教育内容などが問われて当然で、またそこに言及しなければ話にならない。

東京4日付は、労働環境にも教育環境にも言及している。再教育は「緊張を強いられる運転士らのストレスを和らげ、心身の健康を高めるプログラムであるべきだ」との記述は、すべての企業に対して、その雇用する労働者についてあてはまる内容だ。

読売7日付は企業体質を問う。個々の問題に対する批判は、それでいいし、「何よりも安全を優先する体質」は、あらゆる企業で掲げないといけないことだ。

朝日4日付。「列車事故の死者数では戦後4番目という大事故を起こしたのに、いまだに自らが負った責任の重さが分かっていないように映る。」という言葉は、まったくもってそのとおりだろう。天王寺車掌区に始まった一連の「不適切な行動」の扱いといい、議論の矛先を事故そのものから少しでも逸らそうという意図がみえみえだ。JR西日本は、独自に事故の原因を究明しようとしているのか。自ら襟を正すためには、何をすればよいのか。そのことに思い至らない限り、この社説の言葉が重くのしかかり続ける。


5/6 Fri.

まあ、官僚的ですね

尻馬に乗って非難するのもどうかと思うけどなあ。この件に限っていうと、被害者と関係者の感情からいえば許し難いとは思うが、そうでない人々については、けしからんと思うのはそう思う人の勝手でしょう?報道で「JR西日本のモラルは明らかに危機的状況を迎えています」などと論評することなのだろうか。例えば尼崎の駅長がプライベートのよんどころない(たとえば葬祭とかいった)事情ですぐ戻って来れなかったとかいったことがあったら、「のんきに自分とこの葬式しとった」などといって同じように非難されてしまうんだろうか。これだって会社に関係ない、まったくの私事ではないか。それから、この件は天王寺だから非難されて、松江だったり富山だったり、新幹線博多駅の関係者だったりしたら、非難されないのだろうか?何をどこで線引きしたらいいのだろう?

それをはっきりさせないと、こんな非難はJR職員に対する中傷以外の何者でもなくなってしまう。(踏切事故や置き石を示唆するような発表など)一連の経緯からいってJR西日本は“会社として”責任を回避しようとばかりしているから、これもあえてしばらく隠していて記者に質問させ、非難の矛先を上層部から末端へ向けようとしたのかもしれないと勘ぐってしまう。こんなときにこそ労組がしっかりして上層部の責任を追及してほしいが、もはや弱体化していてどうしようもない...

かくして、JR職員たたきの舞台は用意された

およよ。油断していたら相変わらず、安倍さんはおっしゃいますこと。東北地方やら新潟やら、あるいは九州方面の方々は、靖国神社に祀られた人たちに、そう遠くない昔に踏みつぶされた歴史をもつわけで。彼の論理に基づけばそういう面を刺激することになるので、靖国神社の歴史をばらさないようにすることがどうしても必要になってしまう。果たして、次の選挙までうまくごまかしおおせるだろうか。


5/5 Thu.

毎日新聞5日の記事の見方。いろいろ見方はあるから、中華人民共和国政府の思惑という意味では間違ってないのかもしれないけど...

五・四運動の日に公式行事もなく、かつデモも起こらないというのはある意味で異常だ。デモ自体が悪いわけではない。たとえばヒロシマ・ナガサキの日に核廃絶を呼びかけるデモをやれば、見方によっては“反米”デモになるだろう。アメリカ合衆国政府は、あいかわらず「アメリカ合衆国軍の犠牲を少なくするためには原爆投下は必要だった」というような意味のことを言って原爆投下を正当化しているのだから。

つまり「ノーモア・ヒロシマ」と「リメンバー・パールハーバー」ということばが対立すると思っている人々が相変わらず多い、あるいは以前よりも増えてきている(かもしれない)ことが問題で、こんなことを言い合っても、それこそしょうもない対立を煽ることにしかならない。「人智によって不幸な人々を作り出さない」といったような考え方に基づけば、これらは対立するどころか同じ方向に向くことになるはずだ。自己の目的のために人智を用いて暴力に訴え人々を不幸にした、当時の日本政府やアメリカ合衆国政府。そんな行為を繰り返させないことこそが、私たちに課せられた未来永劫の宿題なのである。

そういう意味では、(突拍子もない話ではあるが)朝鮮民主主義人民共和国に拉致されたとされる人々の関係者の運動の限界というのも、実はそのあたりにあるのかもしれない。「拉致被害者を返せ」と叫ぶのは当然だが、同時に経済制裁の発動を呼びかけるとはどうしたことだ。自分たちの不幸を他人にも押しつけたいというのだろうか。「人智によって不幸な人々を作り出さない」ということからいけば、むしろ朝鮮民主主義人民共和国に住む人々を貧困から救うことから始めた方がよりましだろう。

お人好しで大甘なのかもしれないけれど。


5/4 Wed.

休日対応の当番で出社したあと、あちこちに買い物に出かける。途中で、「あっ、今日は4日だから本屋はあさってにしよう」と思って、そこからコース修正するのが大変でした。


5/3 Tue.

昼過ぎに田舎を出て西条まで。高松道に乗って府中湖で休もうとしたら、どうやらどこぞの部活とおぼしき方々がたいへん大勢でおいでになったので、適当にPAの中をぶらぶらして時間つぶしして、ようやく晩飯にありつける。

ずいぶん長い道のりだったので、すれ違いや追い越されや交差点なんかでたくさんの車をみかけた。じつはHR-Vインプレッサ、あとは前の車がダイハツだったからテリオスとかYR-Vも考えていたりして走っている姿を見かけたのだけれど、デザインはやっぱりアクセラが頭ひとつ抜けているかな。

うーん、あとは車に乗る人間が車に似合うかどうかやな。


5/2 Mon.

新車に乗せろ~、という声と、お祓いしてもらえ~、という声にお応えして、三田から西脇へ。交通事故は人災だし、お祓いするぐらいやったらトレーニングしたほうがいいので、そんなことで儲けようとする人もあくどいといえばあくどいから、そういうのに荷担するのはあまり気がすすまないのだけれど、まあ、それで身内が安心してくれるのならいいか。事故ったあとで言われるのも嫌だし。


5/1 Sun.

疲れたのと雨が降ったのとで、1日中だらだらしていた。ひさしぶりに落ち着いて読書したり。


Back to Daily Record INDEX
tmad@1974.jp