ヨガの日なので、とっとと仕事を見捨てる。体が硬いので困る...
最後にぼそっと「あさって早押しできんかも...」と言ったらみなさんにバレてしまった。もう後戻りできん。当日必死にやるだけ。
トラブル対応のため朝はやくに出て、遅くまで仕事。でももう心ここにあらず。
加藤水産の数の子のコマーシャル、ええわ〜。
「普通そんな発想はせん」好例。朝からJNNニュースバードを見ていて(...すいません、宮本優香さん目当てでした)、字幕ニュースの「買い物客の長い列」という言葉になぜか星野由妃デビュー曲「恋人達の長い夜」を連想する。「長い」しか合うてないやん。
うーん、やっぱり私の脳みそは普通でない。
懐柔する人は賄賂をもらうような人には違いないけど、懐柔「する」場合はむしろあげる方ですけど...。
ってか、トラックバックしてあげたいけど原理上できんので許して下さい。誰か見に行ってあげてください。
ブルートレイン「あさかぜ」「さくら」廃止。新幹線や飛行機が発達し安価になったので昼間の移動が楽にできるようになったのと、時間帯が重なる上に身軽で安価な夜行バスの大幅な運行増で、食堂車もなく「寝て移動できる」だけが能になってしまった寝台列車はお払い箱になってしまった。私も熊本にいた頃私用での大阪への移動には到着時間のよい「なは」をほぼ必ず使っていたが、車内は閑散としていた。夜行寝台がまた減るのは残念だが、いまや自治体の補助なしに運営できないのだし、もはや積極的な改善も期待できそうにないので、腹は立つが仕方がない。
コープえひめ金子店へ行ってお買い物。ついでにクリーニングに出していたコートを引き取るが、こんな気候で木曜日に着ることがあるのだろうか。うーむ。しかし他に着て行くものなんか用意してないぞ。
むかしあったZ-1という(認知度低い?)グループで上戸彩さんとツインボーカルを組んでいた根食真実さんがソロでデビューしていたそうだ。しかも2ヶ月も前に。知らなくて不覚。
バテバテになったので夜すこし戻る。仕事に戻ってもふらふら。とはいっても片づかないので、日付が変わるまで仕事になってしまった。
今日は仕事場で
「今年のJリーグ得点王は誰?」
と聞かれて絶句。
「えーけどJリーグまだ終わってないでしょう?」
「終わってないけど、まあほとんど確定やけどね」
「はぁ...」
で、帰ってきてから見てみた。なるほど...
「明石海峡大橋の橋の長さってどれぐらいやったっけ」
「ええそんなん知りませんよ」
答えは3911m。
そういえばこのあいだ週刊誌月刊誌の印刷部数が発表されていたなあ。
朝日放送に出す書類を朝出し忘れたので慌てて夕方すぎに、時間外に西条郵便局に持って行った。
窓口で「これあさってまでに着けたいんですけど」と聞いたら、「明日には着きます」だって。はや〜
あれれ。どっちがうそつき?
さらに土曜にお願いしたメガネを引き取る。そのあとそのまま新しいメガネをかけて仕事に戻るが、さすがに誰も気づいた様子がない。とほほ。
勤労感謝の日に仕事ができることに感謝しつつ(なんのこっちゃ)。
中国に言われる筋合いがないのなら、“北朝鮮”に言う筋合いもない。犯罪行為として問題にするなら、かつての日本政府が朝鮮半島や台湾・中国をはじめアジア各地で行った犯罪行為にいつまでも背中を向けていてはいけない。
いつまでも背中を向けているから、試しに「在日外国人 蔑視発言」とgoogleで検索してみたらいくらでも出てくる。こうした発言には共感をおぼえる人もいるだろう。しかし、これら発言は彼ら在日外国人のひとりひとりが日本という地域に来た事情をまるで無視している。むりやり日本という外国に連れてこられた人の二世、三世にもこういう言葉が投げかけられていることに思いを致さないわけにはいかない。これは“昔の話”などでは決してない。
「はよ気付けよ」という趣旨の発言に対しても、自分の都合の悪いことに耳を傾けないというのは、案外日本の世相を映しているのかもしれない。
ただ何度も繰り返すが、「日本」「中国」「アメリカ合衆国」などと国の単位でものを考えることには意味がない。なるほど文化的歴史的な背景は国(および地域)の単位で考えてもよいだろうが、その背景をもとにしてそれぞれに考えをもつ人がいることに気づかなければいけない。日本でも「自分たちの国の政府のやっていることと国民ひとりひとりの思いは別のところにある」と思っている人が多かった(し今でもも決して少なくない)はずなのに、これをよその国と国民の関係に拡張できないのである。たとえば「アメリカの考えていることはわからん」などと言う場合(普段の言葉遣いからいって“アメリカ”と言う場合アメリカ合衆国を指すことはたぶん間違いないので)、擬人化しているのは「アメリカ合衆国政府とその国民」とが一体になった何だかわけのわからない実体のないものである。だからそこは本当は「アメリカ合衆国政府の考えていることはわからん」と厳密に言葉を使うところである。
それをふまえて考えてみるとき、日本国民がかつての犯罪行為に背中を向けることはある意味では理解できる。つまり“なんとなく”政府と国民を別モノとして考えられないのだ。あのときの政府が勝手に暴走したと言ってしまえばいいのに、自分や近所の人たちが具体的に行為したのだから、それを言うと“なんとなく”無責任なような気がする。ドイツやイタリアでは最後は政府を転覆して降伏したが、日本では政府を転覆しなかったこともその“なんとなく”に一役買っているのだろう。また、その“なんとなく”が政府を転覆できなかった原因のひとつになったかもしれない。
人々の考えていることがいつも政府当局のとる政策に反映されているとは限らない。そういう意味では自国政府が暴走しそうなときには早めに察知して食い止めるだけのセンスを持つとともに、他国の政府のやっていることと人々の考えていることが必ずしも一致するわけでないことを頭に入れておいて他国政府の動向を観察することが大切だ。まあ、もう危ないと言う人がいて、私もそれには同感なのだけれど...
月曜日ですから。仕事ですから。
千葉ロッテは「ファン感謝デー」。
それから、去年クビにした代田をとったらしい。もういちど「♪おーとこにはー、じぶんのーせかーいがーあるぅ」とか歌えるんやろなあ。
私はそれどころではなく朝からMac版アタック25でいっしょうけんめいに練習。
朝から紺野まひるさんがとばすとばす。「同じ食べ物が、地域によって違う呼び方をされている」とか「呼び方は同じなのに、地域によってその名前が指す食べ物が違う」という話題になって、最後のオチをどこに求めるのかと思って聞いていたところ、関東煮(あ〜、関西人以外の方のためにふりがなを振りますと“かんとだき”ですが)という言葉を紺野さんはご存じなかったらしく「それでも関西人か」のツッコミを浴びて、
「関西人やっちゅうねん」
と一言。うまいうまい。
さて相当な出費を覚悟で当日の衣装を調達。また、メガネのフレームがはげかかっているのでこちらも調達する。会社の先輩に松山三越まで(!)ついていってもらって、あとはお任せで服装を調える。
こちらから事情を説明して「テレビ映りのいいような...」としゃべるといちいち驚かれて、「いつ放送ですか」というので調子に乗ってしまい、「ちょっと今自慢入りましたね」などと言われながらもめいっぱいしゃべってしまった。
などということで、あれやこれやで1日使ってしまった。
今日もゲームソフトで練習。
今日も遅かったりする。あれ。水曜とおんなじやん。
いろいろあって日付が変わるまで仕事になってしまった。疲れる...
朝からMac OS 9版アタック25で練習。
20時まえに仕事を見捨てて帰宅。眠いので...
ようやく担当者につながる。放映日は12月19日なので前後1週間の日付にからんだ出来事をチェックするように言われる。またこのほか、音楽のヒットチャート・本のベストセラー・話題の映画や演劇などをチェックすることも忘れないようにと付け加えられる。また詳しいことは、当日参加の方がすべて確定できしだい書面で通知があるそうだ。こちらからは色を聞いてみたがまだ確定でないとのこと。それから観覧人数を聞いたら50人までOKなのだそうだ(ええ〜)。
とっとと仕事を見捨てて2週間ぶりのヨガ。
うーん、なかなか担当者がうまく捕まらない。
別冊(?)週刊社説レビュー。14日付神戸新聞。とうぜん、なゆた望遠鏡を取り上げた。庶民が望遠鏡で宇宙を見る感覚をしっかり押さえておいて(こんな感覚だったら、本当だったら大変だ)、逼迫した地方財政の中でも「社会教育施設」として充実した施設を作れたのは、「地道な積み重ねと社会の支持があったからだろう」と述べて、「素人の出る幕」を余地として残した西はりま天文台への期待で社説を締めている。
ちょっとした誤解や期待過剰がみられるし、天文台公園友の会活動に浅からぬ関わりをもった一人としてたいへん恥ずかしい思いもあるが、新聞にとりあげられて期待されるのも悪くない。それに地元紙ということもあって、当事者をそれなりに知っている私にもそんなに違和感を持たせない論説になっていると思う。科学関係の記者だっているだろうに科学に無知だ、と嘆いてみてばっさり斬って捨てることもできるが、まあ、苦笑いしながら褒めてもらっておこう。
朝からイベント手伝いの続き。午前中から綿菓子とポップコーンを売るが、綿菓子はなんぼ練習してもうまいこと作れん。とうとうあきらめて、子どもに自分で巻いてもらうことにする。
実際に売り始めると、子どものほうがうまいこと作るのに唖然。いやあ...
高知行きのバスに乗る人がいるというので、岡山まで送ってあげることにして13時すぎに西はりま天文台を出発。岡山駅に15時まえに着いて、「あれあれ、来たときの苦労は何だったの」。ただし岡山駅から岡山市内を脱出するのにえらく時間がかかって、宇野からフェリーに乗ったのが17時半の便。帰ったら20時過ぎていたというのもどういうことだか理解できない。そうそう、岡山市内で「東予市玉之江」の字の入ったトラックを見かけたが、新居浜ICを降りたところで同じトラックを見かけた。なかなかないことで恐ろしいことだ。いやあ...
西はりま天文台2m望遠鏡オープニングイベントの手伝い(いちおう記者発表はしていたのね)。
西条を10時半に出た。松山道もそこここで崖崩れ路肩崩れしていたので冷や冷やしながら通ったのだけれど、兵庫県内に入って上郡から千種川を通って愕然。ちょっと流れから外れた河床には流木がごろごろ。国道373号も路肩が崩れかかっているところもあった。村じゅう水没したなどと話には聞いていたが本当にすごかった。
さて現地に着いたが、とにかく天気が悪くて人がこない。というか、日本一の望遠鏡というのに地元がまったく盛り上がっていなくて、佐用や上月の人をあまり見ない。うーん、どう考えればいいのか。ステージはアクアマリンが歌っていたりするが、売り場の留守番でそんなの見ている場合でなし。
夕方から一旦天気がよくなって、また曇ってまたよくなる。そのころには1日目の打ち上げがもう始まっていて、結局2m望遠鏡で見たのはベガだけって、うーむ。
何度も連絡したが担当者につながらない。「出場OKですとお伝え下さい」と言えなかった要領の悪い自分を呪いつつ、日付が変わる寸前に仕事を見捨てて一日が終わる。
たいへん疲れたので食事を名目に外へ出てちょっと仮眠をとろうとしたら電話がかかってきた。見慣れない(服を着てはいない...古いね)番号だがさらしているのでとってみよう。
「tMadさんの携帯でしょうか」
いかにも。
「大阪朝日放送のアタック25ですけれども、7月に予選を受けていただいたかと思いますが、こんど12月2日の木曜日12時半集合で収録に参加していただきたいのすが」
おお、おお...行く行く。
「ご都合は大丈夫でしょうか」
いちおう念のために了承もらってからにしよう。
「それでは明日にでも返事をいただきたいのですがよろしいでしょうか」
もちろんもちろん。するする。
「ではご連絡お待ちしています」
よっしゃ!
うーん。忙しいときはいろいろ重なるのでさらに忙しい。困る。
さらに風邪続行中。トラブルも加わってヨガには行けず、そのまま体調を崩して寝込む。
あん、いやん風邪ひいたらしい...食事しにちょっと外すのを口実にして風邪薬を買ってすぐ飲んで、ちょっと仕事に戻って寝る。
今日こそ朝から出社。途中昼すぎから昼食をとりに外出して、買い物してまた仕事。
この週末もいろいろと考えていたことがあったが、なんせそんな状況なので書けない。来週に回す。
秋季高校野球四国大会は新田高校が優勝。しかし西条高校も愛媛県1位通過だけに、ほぼ来春の甲子園出場を手にしただろう。
本当は今日は出社の予定だったのだけれど、思いっきり倦怠感に襲われてだらだらと過ごす。
秋季高校野球四国大会準決勝は新田高校(愛媛)-三本松高校(香川)、西条高校(愛媛)-済美高校(愛媛)の2試合。第1試合で新田高校が三本松高校を降し、愛媛県勢どうしの決勝になることが決まった。第2試合は西条高校と済美高校の、愛媛県大会準決勝と同じ組み合わせ。県大会では西条が済美を降し、そのまま優勝した。済美は県3位の成績に終わっており、県2位の新田が四国大会でも決勝進出したために、この試合で西条を圧倒しないと選抜出場が苦しい。
西条が初回に先制して済美が追いかける展開となったが、済美のエース福井投手も後半立ち直ってよく踏ん張り、1点差で終盤へ。済美は9回二死無走者と追い込まれたが、ここから連打で追いつく。しかし11回表にふたたび西条がリードし、その裏の反撃を断って、西条が済美を返り討ち。これで西条・新田とも来春の甲子園をほぼ手中にすると同時に、四国大会の決勝は愛媛県大会の決勝の再現となった。中四国5枠だから、中国大会決勝の2校(宇部商・関西)に加えてあと1枠を三本松(香川3位)と如水館(広島2位)、それに開星高校(島根2位)の3校で争うことになりそうだ。
見たかったけど春野は遠い...
日米野球第2戦の日本の先発投手は渡辺俊介。初回にいきなり本塁打で先制されるなど計3失点。某解説者が「渡辺は低めで勝負する...」と言っていたがレギュラーシーズンの試合を見ていたのか疑問だ。渡辺俊介は二次元(つまり縦横)でなく三次元(縦横+緩急)で勝負するタイプの投手で、100km/hほどのスローボールをど真ん中にでも投げて討ち取るのである。本人も「高めの球が通用しなくて残念」と言っていた。
渡辺俊介の投げるボールはせいぜい130km/hも出ないが、奪三振率は6.04と他チームの先発投手と比べても遜色ない。強打者でも遅いボールを思いっきり空振りするのを見ていると、「ピッチャーは球が速いだけが能じゃないんだよ」と言っているようで痛快だ。
会社の後輩と飲んだが帰ってから何してたか覚えてない。酔ったというよりは眠かったのだろう。
相手が相手だけに話題を落合監督にさらわれる。仕方がない。
特に今年の千葉ロッテは、田中充投手を放出するほどだったのに、結果として左投手不足に苦しんだ。清水将海捕手のリードは定評があるほどで、私も好感を持ってみていたが、ずーっと打撃が課題でレギュラーを掴みきれず、里崎・橋本両選手の成長に追いやられてしまった。残念だが、新天地でイチから投手との信頼関係を築き直して(捕手はこれだから苦難の道だ)活躍してくれることを祈るのみである。
今年は球界争議のどたばたでいつものパ・リーグ東西対抗が中止されたため、代わりに12球団東西対抗を、静岡の草薙球場でなく東京ドームで開催。しかし新規参入球団の話題にさらわれてしまい、いつものパ・リーグ東西対抗よりもさらに影が薄くなってしまった。現地では接戦で盛り上がっただろうに、残念だ。
アメリカ合衆国でも日本でも、もはや状況はあまり違わないようだ。ただ違うのは、日本での署名活動というのは隣保や町内会が地方自治体の手足として行っているのがせいぜいなのであって、それ以外の署名はまったくしないだろう、ということぐらいだ。そういう意味では比較にならないかもしれないが、あれほど“自由の国”を標榜し喧伝したアメリカ合衆国にして本当にこうなのであれば、「『民主主義』とよばれた“イデオロギー”の危機」であるといって差し支えないだろう。なんとも、情けなく恐ろしいことだ。
そういえば、なんと!日記が1年続いたのだ。そうそう。昨年の11月3日に日記を起こして、気づけば1年経ったのである。
無駄な提案。こんな注文をつけても公明党は中途半端な説明でお茶を濁して「説明責任は果たした」と開き直り、結局学会員もそれに追随することになるのだろう。陸上自衛隊の宿営地にロケット弾が着弾するようになるなどだんだん物騒になってきたが、これで仮に自衛隊員に犠牲が出たとしても、「それぐらいで復興支援を止める理由になるか」などといってそのまま自衛隊をイラクにとどめるだろう。「ここまでできたら引き揚げる」という明確な区切りを決めないまま自衛隊派遣を実行に移したがために、引っ込みがつかなくなってしまった。
今自衛隊が宿営している地域の人々は、自衛隊の存在をどうみているのか。占領政策全体をみとおして、自衛隊の駐留はひきあうものなのか。とにかく、イラクで起こっていることがまったくわからないために、ひとびとは判断基準を持てなくなっている。こういうときには、このあとどうするにせよ、体勢を整えて情報を集め直すために一旦引き揚げたほうがよさそうだ。
などと書いてみたところで、出社しないといけなくなってしまった。それから4時間ほど滞在して、昼食をとりに外出して戻ってきたら疲れて寝入ってしまった。気づいたら19時を回っているなんて。
それなのにアメリカ合衆国大統領選挙の決着がついていないなんて。
明治大学・一場投手がプロ野球の複数の球団から金銭を授受されていた問題。本人が謝罪の記者会見を開くまでに発展した。二宮清純氏も触れているとおり、ひとりで3人ものオーナーの首をとばした選手、いやドラフト候補はいないわけで、そういう意味では“大物”であろう。ただ彼は球界再編の一連の流れの中で渡邊恒雄氏の思惑に巻き込まれたと見ることもでき、一場投手だけが責めを負うのは不平等かもしれない。
また、一連の球界再編の中でも話題になったが、野球においてはプロとアマチュア、アマチュアの中でも大学・高校・中学などなどと組織がばらばらで、全体を統括する上押しの組織がまったくなく賞罰の基準が統一されていない。一場投手の問題においてもプロ側の処分に明確な基準がなく、渡邊恒雄氏が自らオーナーを降りる不可解な行動をとったために関係各球団横並びでオーナーを辞任するというたいへん重い処分になってしまった。言うまでもないが、金銭の授受は選手を買収するための手段であり、それはプロ側が「自由獲得枠」とか「逆指名」とかいった制度を作ったことによって引き起こされた問題である。よってプロ側が重い処分を自らに科すことは当然といえば当然であるものの、そこまで言うのであれば、自分たちで決めた制度を全くの機能不全に追い込んだことになるわけで、あえて経営陣総入れ替えするぐらいの覚悟で臨むこともあり得る選択であっただろう。そういったことを考え合わせるとき、今回の新規参入球団の選考でもみられた、ある種みえみえの“雰囲気”に支配されるプロ野球の運営のやりかたの中に、球界の組織としての硬直ぶりを指摘しないわけにはいかない。
仕事をとっとと見捨てて、今日はじめてヨガなるものに行ってみた。
いや〜、あれは体の硬いわたしには効くねえ。19時半から21時までの1時間半だったのだけれど、はじまってすぐに汗だく。もうその時間を終わったところで体ががたがた。いやー、いきなりあんまり一生懸命やらんほうがええような気がする。
世間のおおかたが残念に思いながら予想したとおり、楽天がパシフィックリーグ優勝への挑戦権を獲得(変な表現だなぁ)。あまりうれしくない。浅野知事には「おまえみたいなやつには来てほしいないわい。あっちけしっしっ」と言ってほしかったがまあ仕方ないなあ。
いずれにせよ初年度は好成績を望むべくもないが、野球そのものの楽しさを引き立たせるような演出を期待しよう。これが私からの注文であって、こうしたこともできないなら、新しい球団に期待した野球ファン、および仙台のひとびとを落胆させることとなるであろう。
たとえば、よく引き合いに出される新庄選手にしたところで、記者会見・ヒーローインタビューなどでみせる軽口や練習でのパフォーマンスなどは“つかみ”とか“くすぐり”にすぎない。もちろん守備のセンスは大リーグでも通用するほどのものであったし、課題とされた打撃の方も、今年はほぼ1年間出続けて打率.297、本塁打24本・打点79と、打者としても一流選手と言ってよい成績をあげ、なにより彼の性格が最後の最後で日本ハムをプレーオフに導いたのである。
スター選手頼みになることは、野球のもつ競技そのものの楽しさをやや変質させてしまうところはあるが、入門編としては決して悪くない。今年の中日が目指したような「こっちが1点でも取れて、相手に点をやらんかったら試合には勝つんや。そういう試合を繰り返したら優勝するんや」というシンプルな野球が私は好きだが、もちろんホームランの醍醐味を理解しないわけではない。勝ち負けに関係なく、人それぞれに野球を見に行く楽しみを見つけることができれば、野球への人気を盛り上げることができるだろう。パシフィックリーグ連盟歌「白いボールのファンタジー」に歌われる、“スタンドに沸き上がる熱いメロディー”を現実のものにし、“手に汗握り、心を燃やすひととき”を過ごすことができるようにぜひ期待したい。
君子危うきに近寄らずという。
そんな言葉で香田さん(うわ。i-dicを積んでいると「國府田さん」が第一候補になるぞ)を説得していれば、あるいはこんな事態を招くことにはならなかったかもしれない。
しかし、イラク国内からの情報はアメリカ合衆国政府をはじめ「有志連合」諸国政府側から出てくるものしかない。報道がその仕事を果たさない以上、「いまイラクで進みつつあること」を確かめることは自分の目で見に行くことしかなかったし、今でもそうだ。
だから、報道する者の立場で彼の動機を否定することは、ある意味では報道の「自死」を意味する。なるほど香田さんは記者を職業にしていたわけではなかった。しかしそれを言うのであれば、どこの社にも所属しない記者が自らの動機で取材することはどうなのか。
たしかに、彼の態度は軽率だとして批判するべきである。ただ、「政府の勧告に従わなかった」として批判するのではなく、準備不足として批判しなければならない。イラクは誰の目にも明らかに危険な地域であるにもかかわらず、彼は入国に際して相当な認識をもっていたわけではなかったようだし、そのために周到な計画を立てず、事前の渡航準備も十分でなく、現地での行動範囲も明確には絞っていなかったようだ。
しかし、彼の動機にまったく触れることなく、報道機関が彼を非難することは許されるのか?もっぱら外信に頼り、自分たちで事実の確認をしようとしない報道機関が。
さすがに産経は気づいたらしいが。